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【連載「快楽はどこまで許されるのか? セックス依存という病」第7回 】

"セックス依存"は満たされない渇き? 映画『SHAME−シェイム−』に見る闇

 依存をあらわす英語に「addiction」がある。これは日本では「嗜癖」という、やや馴染みの薄い言葉に訳されることもある。

 臨床心理士で多くの著書がある信田さよ子氏の著書『依存症』は、主にアルコール依存症の話だが、ひろく依存症全般についても示唆に富んだ内容になっている。そのなかで、信田氏はこのように書いている。

 「我々の生活における手近な快感は、むしろ生存を危うくするような行動によって獲得される。俗に言う『飲む、打つ、買う』とはアルコール、ギャンブル、セックスのことであり、これらは抗いがたい快感を与えてくれる行動だ。
 生きつづけることを否定するような、強烈で刹那的快感の危険性を、人類は熟知していた。これをどのようにコントロールするかが文化であり、共同体の拘束であった。そしてある種の快感をタブー視し、禁止すらし、快感を生存促進的にコントロールできることが人としての成熟であると考えるようになった。  
 このように生存を危うくするような習慣を『悪習慣』とし、嗜癖と呼ぶようになったのである。つまり近代社会が排除せざるをえないような、コントロールを欠いた行動に与えられた言葉が『嗜癖』なのである」

 「飲む、打つ、買う」といった快楽は、破滅に通じる可能性のある危うい行動だからこそ、その快楽も大きくなる。あるいはその快楽は、禁じられれば禁じられるほどに、増していくのかもしれない。だが、快楽をむさぼるように味わう者は、決して満たされることのない渇望を抱え続けることになる──。

 映画『SHAME』が指し示しているのも、そのような普遍的な事柄なのかもしれない。
 

連載「快楽はどこまで許されるのか? セックス依存という病」バックナンバー

里中高志(さとなか・たかし)

精神保健福祉士。フリージャーナリスト。1977年生まれ。早稲田大学第一文学部卒。大正大学大学院宗教学専攻修了。精神保健福祉ジャーナリストとして『サイゾー』『新潮45』などで執筆。メンタルヘルスと宗教を得意分野とする。著書に精神障害者の就労の現状をルポした『精神障害者枠で働く』(中央法規出版)がある。

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