依存をあらわす英語に「addiction」がある。これは日本では「嗜癖」という、やや馴染みの薄い言葉に訳されることもある。
臨床心理士で多くの著書がある信田さよ子氏の著書『依存症』は、主にアルコール依存症の話だが、ひろく依存症全般についても示唆に富んだ内容になっている。そのなかで、信田氏はこのように書いている。
「我々の生活における手近な快感は、むしろ生存を危うくするような行動によって獲得される。俗に言う『飲む、打つ、買う』とはアルコール、ギャンブル、セックスのことであり、これらは抗いがたい快感を与えてくれる行動だ。
生きつづけることを否定するような、強烈で刹那的快感の危険性を、人類は熟知していた。これをどのようにコントロールするかが文化であり、共同体の拘束であった。そしてある種の快感をタブー視し、禁止すらし、快感を生存促進的にコントロールできることが人としての成熟であると考えるようになった。
このように生存を危うくするような習慣を『悪習慣』とし、嗜癖と呼ぶようになったのである。つまり近代社会が排除せざるをえないような、コントロールを欠いた行動に与えられた言葉が『嗜癖』なのである」
「飲む、打つ、買う」といった快楽は、破滅に通じる可能性のある危うい行動だからこそ、その快楽も大きくなる。あるいはその快楽は、禁じられれば禁じられるほどに、増していくのかもしれない。だが、快楽をむさぼるように味わう者は、決して満たされることのない渇望を抱え続けることになる──。
映画『SHAME』が指し示しているのも、そのような普遍的な事柄なのかもしれない。