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【連載「快楽はどこまで許されるのか? セックス依存という病」第7回 】

"セックス依存"は満たされない渇き? 映画『SHAME−シェイム−』に見る闇

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話題になった映画『SHAME−シェイム−』(画像は公式HPより

 「描かれているのはセックスだけ。しかしあなたは、彼の人生そのものを覗きみる。」映画『SHAME−シェイム−』のDVDパッケージにはそんな文字が踊る。日本で公開されたときも、セックス依存症の世界を赤裸々に描いたと話題になった。

 確かに、この映画にはセックスシーンがふんだんに登場する。主人公のブランドンは、部屋に風俗嬢を呼び、パソコンのテレビ電話で裸の女性と交流する。パソコンのハードディスクはハードなポルノで一杯。バーでは女性を卑猥な言葉でナンパし、連れの男に殴られる。

 この映画で描かれているのは、セックスに対する渇望と罪悪感だ。ブランドンはそれなりの会社に勤め、社会性も備えている。なかなかのモテ男で、セックスパートナーは途絶えることがない。それでも、ブランドンの心の中はいつもどこか落ち着かず、焦燥感で荒んでいる。突然、押し掛けて家に泊まるようななった妹のシシーにも、過剰な身体的接触をしたかと思えば、冷たく罵倒しもする。

常により強い刺激を求めずにはいられない

 ブランドンが同僚とレストランでデートをするシーンは象徴的だ。結婚の話題に対して、ブランドンは「4カ月以上同じ女性と関係が続いたことがない。ひとりの人と生涯一緒にいるのは不可能だよ」と言う。レストランからの帰り道、ブランドンが「いつの時代の誰にでもなれるとしたら、何になりたい?」と聞くと、デート相手の女性は「Now,Here」と答える。字幕は「いまの自分のままがいい」だ。それに対して、ブランドンは「最低につまらない答えだ」と返す。

 ブランドンは「いま、ここ(Now,Here)」に対して決して満足できないのだろう。常に今以上により強い刺激を求めずにはいられない。そんなブランドンも自分のエネルギーをもてあまして夜中に突然走り出したり、また家に置いてある大量のポルノを突発的にゴミに出したりする。だが、そんなことをしても、すぐに性欲はまだ溢れ出してくるのだ。

人はなぜ快楽に耽溺するのか

里中高志(さとなか・たかし)

精神保健福祉士。フリージャーナリスト。1977年生まれ。早稲田大学第一文学部卒。大正大学大学院宗教学専攻修了。精神保健福祉ジャーナリストとして『サイゾー』『新潮45』などで執筆。メンタルヘルスと宗教を得意分野とする。著書に精神障害者の就労の現状をルポした『精神障害者枠で働く』(中央法規出版)がある。

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