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【連載「日本をリハビリテーションする」第1回:鶴巻温泉病院院長・鈴木龍太】

脳卒中は早く「リハビリテーション」を開始することが回復の早道!

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脳卒中は早く「リハビリテーション」を開始すべし

 40年以上前の話ですが、1975年6月3日に佐藤栄作元総理が亡くなりました。1964年から1972年まで日本の総理大臣を務め、1974年に非核三原則の制定などが評価されてノーベル平和賞を授賞した佐藤栄作元首相は、1975年5月19日、築地の料亭で政財界人らとの宴席の最中にトイレに行こうとして立ち上がったところで、崩れるように倒れ、いびきをかき始めたそうです。

 病名は当時、脳溢血と発表されていますが、嘔吐や頭痛を訴えなかったので、脳出血やくも膜下出血よりは、脳梗塞の可能性が高く、また意識障害で発症しているので、脳底動脈の閉塞等、脳幹部の梗塞が疑われます。

 脳梗塞であれ脳出血であれ、現在は救急車を呼び、救急病院へ搬送します。診察及び検査で、脳梗塞と診断され、禁忌事項が無く、発症4時間半以内であれば、tPAによる血栓溶解療法を実施することになります。

 しかし当時の日本では、脳溢血になったら動かしてはいけないと信じられていました。高名な大学病院から医師団が駆け付けましたが、誰も病院に運ぼうとしなかったそうです。倒れた料亭で4日間、布団に寝かせて動かさず、容態を診た後、大学病院に搬送されました。一度も覚醒することなく昏睡を続けた後、1975年6月3日に亡くなりました。

 今考えるとすごくおかしいことのように思えますが、当時としては常識の範囲だったのです。

脳卒中になったら早くリハビリテーションを開始することが回復の早道

 1975年9月にCTスキャン(当時は「EMIscanner」と言いました)が日本で初めて東京女子医大に導入されました。それ以後、脳卒中の診断・治療は革新的な変化を遂げましたが、ちょうどその時代の直前のことでした。ちなみにCTスキャンを発明したハウスフィールドとコーマックには、1979年にノーベル医学生理学賞が贈られています。

 脳卒中に関しては、似たようなことが現代の日本でも一般的に行われています。それは「リハビリテーションの開始が遅れている」ことです。

 最近では、脳卒中の治療が一段落すると、受け持ちの先生から「そろそろ回復期リハビリテーション病院に移って、リハビリを集中的にやりましょう」という話があります。

 患者さんやその家族は「そう言われても、今いる病院は救急で助けてくれたし、規模も大きいし、医師や看護師もたくさんいるから、この病院で治療を続けたほうが良いはず。しかし、患者さんが次から次へと来るから、早く追い出したいんだな」と思う人が多いのではないでしょうか。

 それが間違っているのです。脳卒中になったら、可能な限り早くリハビリテーションを開始することが、回復の早道なのです(「脳卒中治療ガイドライン2015」pp277)。

鈴木龍太(すずき・りゅうた)

医療法人社団 三喜会 理事長、鶴巻温泉病院院長
「変化を進化に、進化を笑顔に」をモットーに日々の診療やリハビリテーションに注力し、高齢者医療や緩和ケアなど地域の幅広いニーズに応える病院経営に取り組む。
1977年、東京医科歯科大学医学部卒。医学博士。米国NIH留学、昭和大学藤が丘病院脳神経外科准教授、安全管理室 室長を経て、2015年より現職。
日本リハビリテーション医学会専門医・指導医、日本慢性期医療協会常任理事、日本リハビリテーション病院・施設協会理事。

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