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【シリーズ「傑物たちの生と死の真実」第26回】

ミッフィーの生みの親ディック・ブルーナ89歳の天寿 「老衰」とは何か?

「ミッフィー」の生みの親 没後1年、絵本作家ディック・ブルーナ89歳の天寿〜「老衰」とは何か?の画像1

2017年2月16日、ディック・ブルーナは享年89で天寿をまっとう(写真はWikipediaより)

 絵本は、おとぎ話を紡ぐ天才だ。人間が発明した最も美しく、楽しく、幸せな遺産だ――。そんな世界的人気を誇る絵本作家が、昨年(2017年)2月16日に亡くなった。ミッフィー(うさこちゃん)やブラック・ベアという夢のようなワンダーランドを創ったディック・ブルーナだ。享年89。

没後1年、ディック・ブルーナの絵本作家としてのスタート

 1927年8月23日、オランダのユトレヒト市、出版社「ブルーナ社」を経営する父アルバートと母ヨハナの長男として生まれたブルーナは、両親の寵愛を一身に受けて育つ。絵が好き。好奇心も旺盛で、森でも川でも野原でもスケッチブックを手放せない。父の書棚に並ぶレンブラントやゴッホの画集を溺愛したという。

 ブルーナが18歳の1945年、第二次世界大戦が終結すると、荒んだ街が平和をようやく取り戻す。彼は父の反対を押し切り、画家になろうと強く決意し、高校をドロップアウト。オランダの書店や、イギリス、フランスの出版社で実務研修に励みながら、美術館や画廊をはしごしつつ、油絵やスケッチに耽る。パリ美術館で出会ったレジェやマティスに強烈な衝撃を受けるのもこの頃だ。

 だが、試練は来る――。20歳の時、アムステルダムの国立美術アカデミーに入学したが、深く失望して退学。マティス、サヴィニャック、カッサンドルなどの、単純なラインや繊細な色彩が横溢する作品群を熱心に独学・研究するようになる。

 そして24歳の時、ブルーナ社の専属デザイナーに就任。ジョルジュ・シムノンのミステリー小説『メグレ警部シリーズ』の装丁を手がける。また、ブルーナ社のシンボルとしてデザインした『Zwarte Beertjes(ブラック・ベア)』がペーパーバックで刊行され、読書週間のポスターに使われる。26歳の時、イレーネ・デ・ヨングと結婚し、初の絵本『de appel(りんごちゃん)』を発刊する。

 28歳でペーパーバック『ブラック・ベア』シリーズがスタート。うさぎを主人公とした文字のない絵本『nijntje(ナインチェ)』を刊行。子供たちは、嬉々としてはしゃぎながら、愛らしいキャラクターを抱きしめている。

世界的な人気絵本作家となってからのブルーナ

 32歳の時、「真四角の絵本」の新たな挑戦が始まる。赤、青、白、緑、黄のブルーナ・カラーに彩られた『りんごちゃん』『こねこのねる』『きいろいことり』『ぴーんちゃんとふぃーんちゃん』が店頭を飾る。36歳の時、『ナインチェ』の各国語訳を世界で出版。1964年に『ちいさなうさこちゃん』(石井桃子訳)を初刊行。日本もブルーナ熱に包まれ、人気絵本作家の地歩を固める。

 44歳の1971年、アムステルダムに著作権を管理するメルシス社を設立。48歳でブルーナ社を退職・独立後、障害者のための誘導サイン、歯の健康、献血、赤十字などの公共ポスターを制作。子どもたちに絵本を読み聞かせるイベントも定期的に開く。

 71歳の1998年、日本郵政は「ふみの日」切手にブルーナのデザインを採用。78歳になった2006年2月、「ミッフィー・ミュージアム」がユトレヒト市のセントラル・ミュージアム横に開館、作品の常設展示がスタートした。

 84歳を迎えた2011年。足腰が重くなり、やむなく引退を決心。春夏秋冬、1日たりも絵筆を決して離さない。だが、木枯らしが吹き晒す冬ざれの夕べ。2017年2月16日、老衰で逝去。享年89。少年の眼差しのままの旅立ちだった。

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