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【シリーズ「DNA鑑定秘話」第59回】

「公開大捜査」に出演した記憶喪失の和田さんと「伸矢くん」の父親のDNA一致せず

カスパー・ハウザーの真相は闇の中!

 この番組を見ながらカスパー・ハウザー(1812年4月30日 ~1833年12月17日)の事件を思い出した人もいたかもしれない――。

 今から190年前の1828年5月26日、ドイツ(バイエルン王国)ニュルンベルクのウンシュリット広場。薄汚れた身なりのまま、16歳の少年が呆然と立ちすくんでいた。少年は「ヴァイス・ニヒト(分からない)」と呟くばかり。足は青白く、上手く歩けない。筆談から、名前は「カスパー・ハウザー」という。

 そして衝撃の事実が発覚する。カスパー・ハウザーは、幅1m、奥行き2m、立てないほどの低い天井に囲まれた、真っ暗で不衛生な地下牢に、なんと16年間も軟禁されていたことが判明したのだ。

 そのような環境で生活していたせいか、五感が鋭敏すぎる、触って金属の種類を言い当てる、蜘蛛の巣にかかった獲物を感じる、火を恐れない、時計を怖がる、水とパンしか食べない、コーヒーやアルコールを激しく拒む、隣の部屋のささやき声を聞き取る、暗闇で物を識別し、聖書も読む、地下牢へ戻りたがるなど、奇異極まりない言動が人々の好奇心をますます煽り立てる。

 やがて「王室(バーデン大公家)の血族か?」という風説が流れ、カスパーの出生の秘密を探る世情は異様に熱を帯びる。

 だが、1833年12月14日、カスパーは何者かに右胸を刺され、21歳で急死。今日に至るまでバーデン大公家は、記録文書収蔵庫の閲覧を頑なに拒否しているため真相は闇の中だ。

カスパーのズボン、毛髪をDNA鑑定してみると?!

 カスパー・ハウザーとは何者だったのか? 事件の解明の糸口を探ろうと、DNA鑑定が試みられている。1996年、『シュピーゲル』誌とアンスバッハ市は、カスパーのズボンに残った血痕を分析した結果、「カスパーはバーデン大公家の王子ではない」と公表している。

 さらに、2002年、ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学(ミュンスター大学) の法医学研究所は、カスパーのシルクハットの汗の染みとアンスバッハの博物館にある毛髪、養父アンゼルム・フォン・フォイエルバッハの遺品の中にある毛髪、パンツに付着していた血痕を分析した結果、「カスパーはバーデン大公家の生物学的な近親者でない」と結論を下す。

 現在、調査を阻んでいるバーデン大公家には、亡くなった世継の王子の遺骨が埋葬されている。真相は、まだ何も解明されていない。

 和田さんも、カスパー・ハウザーも、自分が誰なのかを知りたいはずだ。

 DNAの親子鑑定に興味があれば、本サイトの「子だくさんのチャップリンが巻き込まれた父権認知訴訟! 血液判定の結果は!?」をご一読いただきたい。
(文=佐藤博)

佐藤博(さとう・ひろし)
大阪生まれ・育ちのジャーナリスト、プランナー、コピーライター、ルポライター、コラムニスト、翻訳者。同志社大学法学部法律学科卒業後、広告エージェンシー、広告企画プロダクションに勤務。1983年にダジュール・コーポレーションを設立。マーケティング・広告・出版・編集・広報に軸足をおき、起業家、経営者、各界の著名人、市井の市民をインタビューしながら、全国で取材活動中。医療従事者、セラピストなどの取材、エビデンスに基づいたデータ・学術論文の調査・研究・翻訳にも積極的に携わっている。

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