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【シリーズ「あの人はなぜ死に急いだのか?スターたちの死の真相!」第4回】

夏目雅子「急性骨髄性白血病」が奪った27歳の命 闘病わずか7ヶ月で夭逝

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画像は夏目雅子伝刊行会・編集『夏目雅子―27年のいのちを訪ねて』(まどか出版)より

 有史以来、不治の病と恐れられ、おびただしい人命が侵された「血液のがん」である白血病――。

 歌手の本田美奈子(享年38)、漫才師カンニングの中島忠幸(享年35)、プロ野球選手の大豊泰昭(享年51)など、克服できなかった人は少なくない。闘病の末、女優の吉井怜や俳優の渡辺謙のように復帰できた人もいるが、病魔の黒い手は、あの清冽な微笑すらも容赦なく葬り去っていく。

夏目雅子、急性骨髄性白血病が奪った27歳の命

 1985(昭和60)年9月11日午前10時16分、夏目雅子は、抗がん剤の副作用による肺炎を併発し、急性骨髄性白血病(AML)のため、慶應義塾大学病院で急逝する。享年27。

 その死は、あまりにも若すぎる。何が起きたのか?

 急死の7ヶ月前の2月14日。夏目は、舞台『愚かな女』の公演中に10円玉大の口内炎、頭部の激痛、極度の虚脱感に突如襲われる。「這ってでも舞台に戻るわ!」――。共演の西岡徳馬が押しとどめ、翌2月15日に慶應義塾大学病院に緊急入院。血液専門医が白血病を疑い、骨髄検査と遺伝子検査を行ったところ、急性骨髄性白血病(AML)が発覚する。

 女優になることを頑なに反対し続けた母・小達スエが書き下ろした『ふたりの雅子』(2006年/講談社)によると、夏目の幼なじみの「明ちゃん」も闘病の末に白血病で夭逝したため、白血病である事実は伏せられ、主治医は「極度の貧血」と告げている。

 夫・伊集院静は、母・スエと共に看病に当たる。母・スエは、入院後に初めて娘が出演する映画を観てひたすら感涙。「内気だったあんたがね~」と横たわる娘をひしひしと見つめる。抗がん剤の副作用による脱毛に悩み、苦痛を舐めていた夏目。はにかみながら笑みを返し、母の心労を労おうと白くか細い手を重ねる。「髪の毛くらい、いいわ。私、三蔵法師の時、とっても素敵だったのよ」と気丈に笑う。

 主治医らによれば、復調の兆しは見えていたものの、1~2回目の抗がん剤治療の時に、脱毛を恐れた夏目は、副作用の弱い抗がん剤を選ぶ。その直後の8月下旬頃、断続的な高熱を発し、病態は一進一退のまま。だが、9月9日、著しい高熱が下がらず意識不明の重体に。昏睡のまま不帰の人となる。

 戒名は芳蓮院妙優日雅大姉(小達家菩提寺)、雅月院梨園妙薫大姉(西山家菩提寺)。遺作は『瀬戸内少年野球団』(1984年、日本ヘラルド/中井駒子 役) 。

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