7月18日に105歳で亡くなられた日野原重明医師(写真は公式Facebookより)
先ごろ亡くなった日野原重明さんは、享年105歳。おそらく現役最高齢医師だった――。58歳の時によど号ハイジャック事件に巻き込まれ死を覚悟したものの、生還できた喜びから「これからの人生は人のために尽くす」と誓ったそうだ。
「生活習慣病」の命名(それまでは「成人病」)、「人間ドック」の開設、「新老人の会」設立、子どもたちへの「命の授業」のほか、1995年に起きた「地下鉄サリン事件」の際には、聖路加国際病院長として陣頭指揮をとり640人もの中毒患者を収容するなど、世界中から注目された。
日本の医療に多くの功績を残した日野原医師は、今年3月に消化器機能の低下により入院。口から食べることが難しくなったため、担当医師から経管栄養(中心静脈栄養や胃ろう)を勧められたが、「それはやらない」と拒否し自宅療養に切り替えた。
そして7月18日、家族に見守られて静かに息を引き取ったという。
自然な死に方を阻む「延命至上主義」や「診療報酬」
日野原医師のような「自然な人生の閉じ方」を見習いたいと感じた人は多かったはずだ。しかし本人が望んでも、なかなかこのような死に方ができるとは限らないのが現実である。
理由の一つに挙げられるのが、医師らの「延命至上主義」だ。人の命を救うことが医療の使命ではあるが、それがいつしか「何が何でも死なせない」ことが最優先となって体に染み込むようになり、寿命が尽きようとしている高齢者にも同様のことをしてしまう。
自力で食べられなくなった高齢者に対し、深く考えることをせずに胃ろうなどの経管栄養を施したりすることだ。このことで、高齢者は長い寝たきり生活を送ることになりかねない。
また、医療制度の問題もある。中心静脈栄養や人工呼吸器をつけると「診療報酬」が高くなるから、病院経営の面から延命措置を行うことが少なからずあるそうだ。
さらに「息をしているだけでいい」などという「家族のエゴ」から延命治療が始まってしまうケースもある。