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【シリーズ「DNA鑑定秘話」第52回】

エジプト人は「古代」と「現代」とでルーツが違う!数千年前のミイラをDNA解析して判明!

なぜ「古代エジプト人」は「地中海東岸の人々」に近い?〜めまぐるしい侵略と交雑

 建国以来、古代エジプト王朝は、統治力の弱体化や内乱などによって攪乱され、目まぐるしく変遷し続けた――。

 エジプト第2中間期(紀元前1663年〜紀元前1570年)、第13王朝のヌビアが独立したが、第14王朝などの小諸侯が対立。紀元前1663年頃にパレスチナのヒクソスという異民族が第15王朝を簒奪すると、地中海東岸のパレスチナも平定する。

 続くエジプト新王国時代(第18〜20王朝)に入り、紀元前1540年頃、上エジプトを治めていた第17王朝のイアフメス1世が第15王朝のヒクソスを追放して南北エジプトを統一。以後、地中海東岸のパレスチナやシリアへ意欲的に進出するだけでなく、首都テーベを拠点にティグリス・ユーフラテス川流域から西アジアに及ぶ一大帝国を擁立、古代エジプト王朝は黄金期を迎える。

 以後、第18王朝の繁栄は続くが、紀元前1346年頃、アメンホテプ4世は、勢力を伸ばしたヒッタイトにパレスチナやシリアの属国を次々と奪われ、国力が衰微。紀元前1333年に即位したツタンカーメン王は夭折。だが、紀元前1291年にセティ1世が北シリアへと遠征後、古代エジプト最大の王ラムセス2世による第20王朝は、最盛期へ向う。

 しかし、紀元前1070年頃に最後の偉大なファラオと呼ばれた第2代のラムセス3世の死後、第20王朝は崩壊。その後の約1000年間は、国力が一気に衰退する。

 紀元前332年、アレクサンダー大王が全土を征服。紀元前31年にオクタウィアヌス率いるローマ軍に敗北。クレオパトラ7世が自殺し、プトレマイオス朝は滅亡。古代エジプトの王朝時代は終焉する――。

 つまり、紀元前約1400年頃の古代エジプトは、地中海東岸のパレスチナやシリアを支配していたことから、周辺諸国との民族的な交雑が進んだため、古代エジプト人は遺伝的に地中海東岸の人々に近いという、今回のDNA解析の結果につながったのだ。

なぜ「現代エジプト人」は「サハラ以南のアフリカ人」に近い?〜この1300年間、他国の征服を受けていない

 今回の研究のもう1つの成果は、「GWAS(ゲノムワイド関連解析)」によって、この1300年間にアブシール・エルメレクの地域に住む人々のDNAに大きな変化はなく、他国の征服による遺伝的な影響は受けていない事実と、現代エジプト人は古代エジプト人に比べるとサハラ以南のアフリカ人の系統に8%ほど近い事実が判明した点だ。

 Krause氏は、サハラ以南のアフリカ人のDNAがエジプトに流入するようになったのは、過去1500年以内と推察する。

 ちなみにGWASは、ヒトゲノム上に存在する50~100万種のSNP(スニップ:一塩基多型)を位置マーカーとして使い、ヒトゲノム中に特定の個人の疾病に関連するSNPを見つけ出し、ゲノム配列の個人差や、疾病に関わる多因子形質と変異の関係を統計的に調べる解析法だ。

 さて、タイムマシンに乗って古代エジプト人のルーツを辿って来た。今回のミトコンドリアDNAの解析とGWASによる多民族や多人種の解明が進んでいる。後日、日本人のルーツも辿ってみたい。
(文=佐藤博)


佐藤博(さとう・ひろし)
大阪生まれ・育ちのジャーナリスト、プランナー、コピーライター、ルポライター、コラムニスト、翻訳者。同志社大学法学部法律学科卒業後、広告エージェンシー、広告企画プロダクションに勤務。1983年にダジュール・コーポレーションを設立。マーケティング・広告・出版・編集・広報に軸足をおき、起業家、経営者、各界の著名人、市井の市民をインタビューしながら、全国で取材活動中。医療従事者、セラピストなどの取材、エビデンスに基づいたデータ・学術論文の調査・研究・翻訳にも積極的に携わっている。

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