耳から聞いた言葉を理解する能力は側頭葉の聴覚野の近くにある
運動性言語中枢のブローカ野が障害され複雑な言語を話せないブローカー失語症も、感覚性言語中枢のウェルニッケ野が障害され言語の意味を理解できないウェルニッケ失語症も、脳神経学の発展に多大な貢献を果たしてきた。
20世紀を迎えると「脳は全体的に心身機能を司る」とする全体説が医学会や心理学会のメインストリームになっため、ウェルニッケ失語症は一時的に学会から忘れ去られる。しかし、1960年代に至り、脳の「機能局在説」を復活させたN.ゲシュウインドは、ウェルニッケ失語症の有効性を改めて世界に実証した。
現在、失語症は、超皮質性運動失語、超皮質性感覚性失語、混合型超皮質性失語、伝導失語、健忘失語など、多様な失語症の症状と脳の障害部位が特定され、エビデンスが日々構築されている。
1885年、ウェルニッケは、37歳で母校ブレスラウ大学医学部大学精神神経科教授に就任。1904年にハレ大学教授に席を置き、後進の指導に情熱を注いだ。だが、翌1905年、不慮の自転車事故のため急死、享年57だった。
ブローカー失語症は言葉そのものが出ない。だが、ウェルニッケ失語症は、言葉は出るが、言葉の理解障害が強いので意味が通じないものの、言葉のレパートリーは広い。
「耳から聞いた言葉を理解する能力、それは側頭葉の聴覚野の近くにある」
この大発見はカール・ウェルニッケの天才的な慧眼だった。
(文=佐藤博)
*参考文献『脳と心の謎に挑む―神の領域にふみこんだ人たち』(高田明和/講談社)ほか
佐藤博(さとう・ひろし)
大阪生まれ・育ちのジャーナリスト、プランナー、コピーライター、ルポライター、コラムニスト、翻訳者。同志社大学法学部法律学科卒業後、広告エージェンシー、広告企画プロダクションに勤務。1983年にダジュール・コーポレーションを設立。マーケティング・広告・出版・編集・広報に軸足をおき、起業家、経営者、各界の著名人、市井の市民をインタビューしながら、全国で取材活動中。医療従事者、セラピストなどの取材、エビデンスに基づいたデータ・学術論文の調査・研究・翻訳にも積極的に携わっている。