「洗脳」という精神支配の現実
「洗脳」という言葉は、もともとは第二次大戦後、中国で人民の思想改造運動に対して用いた語から来ているというが、近年は主にカルト宗教による精神支配について多く使われてきた。
2016年に出版された『解毒 エホバの証人の洗脳から脱出したある女性の手記』(坂根真実・角川書店)は、エホバの証人の元信者による手記だが、そこでは「洗脳」について「『洗脳される』というのは麻酔をかけられるのと同じようなものなのだ」と書かれている。
また、オウム信者の脱洗脳などに取り組んだ経歴のある脳機能学者の苫米地英人氏は、著書『洗脳原論』(春秋社)で、次のように述べている。
<洗脳とは、われわれの神経レベルでの情報処理・信号処理の段階に、何らかの介入的な操作を加えることによって、その人の思考、行動、感情を、思うままに制御しようとすることである>
そして、洗脳のメカニズムについて苫米地氏はこう説明する。
<その人を洗脳する必要性があるということは、たいてい本人自身の内なる目標とは違っているわけだから、心理的抵抗が起きてしまう。簡単にいえば、本人は嫌がる。しかし嫌がっても関係なく、本人を従わせてしまうような一連の技術が、『洗脳』の手法なのだ>
<具体的には、独房に長いあいだ投げ込んだり、ロールプレイングのように常に相手に主従関係を強いて、それをいつのまにか固定化させてしまう。看守と監獄に入っている囚人の関係などもそうだが、最初は反抗していても、しばらくすると自然にその関係が成り立っている>
<このように、本人が抵抗しても強制力を働かせ、いつのまにか相手をコントロールしている方法が、典型的なやり方である>
いかがだろうか? こうして見ると、今回問題となったAV業界での洗脳と、カルト宗教の洗脳の間には、やはり共通点があるのかもしれない。
男性が楽しんで鑑賞しているAVの裏側にある「洗脳」という現実。今後の進展によって、その手口や被害が明らかになるだろう。
(文=編集部)