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【シリーズ「最新の科学捜査で真犯人を追え!」第16回】

和歌山毒物カレー事件から18年林眞須死刑囚は冤罪か? 「ヒ素」の鑑定ミスが起きた理由は?

SPring-8の蛍光X線分析法が明らかにした真実

 中井鑑定は、ヒ素の重元素の組成を比較し、プラスチック容器のヒ素も紙コップのヒ素も、ヒ素計7点のすべて同一と結論づけた。一方、河合鑑定は、軽元素の組成を分析し、プラスチック容器のヒ素と紙コップのヒ素は明らかに異なると断定した点に意義がある。

 この事件を契機に、大型放射光施設SPring-8は、初めて刑事事件の鑑定に使われた。だが、SPring-8を使って分析したのは中井鑑定だけで、別の専門家による検証はまったく行われなかった。したがって、河合鑑定が中井鑑定の精度や信憑性を根底から覆した事実は大きい。

 SPring-8(Super Photon ring-8 GeV)は、兵庫県佐用郡佐用町の播磨科学公園都市内にある大型放射光施設だ。電子を加速・貯蔵する加速器や発生した放射光を利用する実験施設などがある。施設名の8は電子の最大加速エネルギーの 8GeV(80億電子ボルト)にちなんでいる。

 和歌山地方検察庁の要請によって実施された中井鑑定は、高エネルギー非弾性散乱ビームラインBL08Wを使用し、和歌山地裁の要請によって実施された河合鑑定は、BL08Wと磁性材料ビームラインBL39XUを使用した。どちらの鑑定も、放射光を使った蛍光X線分析法を採用している。

 蛍光X線分析法は、物質にX線を照射すると元素固有のX線が発生する原理を利用し、X線の種類(エネルギーまたは波長)と量を測定することによって、物質に含まれる元素や微量元素の種類と量を識別する分析法だ。

 和歌山毒物カレー事件の場合は、亜ヒ酸に含まれる特定の不純物元素(重元素と軽元素)の量を比較し、亜ヒ酸の同一性を蛍光X線分析法によって識別した。蛍光X線分析法なら、亜ヒ酸の出所と量を精確に特定できるという。

 ところで、中井教授は、林死刑囚が起訴される前に「悪事は裁かれなければならない。鑑定結果が社会的正義を実現する」などとマスコミで失言。公判での鑑定人の中立性が疑われていた。いずれにしても、河合鑑定が中井鑑定を否定した意味は重い。

 林死刑囚の再審弁護団は、河合鑑定に基づいて、ヒ素の再鑑定を求める再審請求補充書を和歌山地裁にすでに提出している。和歌山地裁が再鑑定を決定すれば、林死刑囚の再審請求審が一気に動く可能性が大きい。

 安田好弘弁護士は「判決が採用した中井鑑定の信用性は乏しい。確定審の鑑定ではヒ素の生産地が同一と立証されたに過ぎず、林死刑囚は真犯人とはいえない。プラスチック容器と紙コップのヒ素が別物である事実が証明されれば、再審に近づく」と期待を強める。

 繰り返すが、河合鑑定は「林死刑囚は自宅からヒ素を持ち出し、夏祭り用に用意されたカレーの鍋に投入、住民を無差別に殺そうとした」という検察の主張を崩した。再審が始まれば、林死刑囚に逆転無罪が言い渡される可能性が高い。

 疑わしきは罰せず――。何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される。事実認定は証拠によって行われなければならない。推定無罪と証拠裁判主義の大原則は守られなければならない。


佐藤博(さとう・ひろし)
大阪生まれ・育ちのジャーナリスト、プランナー、コピーライター、ルポライター、コラムニスト、翻訳者。同志社大学法学部法律学科卒業後、広告エージェンシー、広告企画プロダクションに勤務。1983年にダジュール・コーポレーションを設立。マーケティング・広告・出版・編集・広報に軸足をおき、起業家、経営者、各界の著名人、市井の市民をインタビューしながら、全国で取材活動中。医療従事者、セラピストなどの取材、エビデンスに基づいたデータ・学術論文の調査・研究・翻訳にも積極的に携わっている。

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