「イカ刺し」を食べたら舌に何かが刺さって抜けず来院(depositphotos.com)
あるとき、ユニークなケースに遭遇した。
近所のスーパーマーケットで買った「イカ刺し」を食べたところ、何かが舌に刺さって抜けず、痛くて仕方がない――と訴える男性が来院した。臨床医は舌に刺さったトゲ状の物体を麻酔下で切除し、病理診断に提出した。
顕微鏡で標本を見た私は、はたと困った。たくさんの小型の核をもつ細胞が充満したその物体は、これまでに見たことのない代物だったのだ。当時勤務していた大学の寄生虫学の専門家に相談した。
彼らは「寄生虫ではない」と即答してくれたが、果たしてこれは何なのだろうか?
しばらくして謎は解けた。メスイカの体内に発射された、オスイカの精鞘(無数の精子を容れた鞘状の器官)だったのだ。
新鮮なメスのイカ刺しには、とりあえずご用心を!
奥谷喬司・著『イカはしゃべるし、空も飛ぶ―面白いイカ学入門』(講談社ブルーバックス)と題した科学随筆に目を通した。その第一章「イカのセックスは痛い」の中に、次のような内容が書かれていた。
イカの10本足のうち2本は生殖のためのもので、オスがこの特別の足を使ってメスの体内に精鞘を挿入することによって交尾が行われる。
精鞘は2~3センチ長で、先端に針のような突起を、根元には大量のアクチンフィラメント(収縮性タンパク質)を有しており、メスの体裂に接触すると弾けて、メスの体内壁に突き刺さる仕組みだそうだ。
つまり、かの患者さんが不幸にして口にしたのは、<不発弾>を表面に抱えたメスの身(体壁)だったのである。