あらゆる性暴力は犯罪、性暴力に正当性は一切ない
言うまでもないが、民主主義社会の根幹が思想、言論、通信の自由にあり、情報を知る自由も拒む自由もあるのは論をまたない。だが、知性・感情・意思を兼ね備えた社会的動物、それが人間だ。
人間としての誇りと倫理観と節度があるからこそ、法律という社会的な縛りに関わりなく、欲望を自制するだけでなく、さらに高次元に欲求を変換できるのだ。つまり、思想、言論、通信の自由が公共の利益や個人のプライバシーを侵害するなら、その自由と権利は制限されるのは自明の理だ。
そのような観点に立てば、「金玉潰し祭り」のような喧騒は、性暴力を公然化し、容認するように誘導する悪意が感じられる。バイアスのかかった、性意識や性衝動を招きかねないリスクすら感じる。
あらゆる性暴力は犯罪だ。性暴力に正当性は一切ない。セクシュアリティ(性のあり方)も性の選択も性行動も、個人の自由と裁量に託されている。
だが、自己の性的な欲求や陶酔を求める自由はあっても、他人への強要や勧誘はできない。性犯罪の被害者を不快にする行為は許されないし、不快感を受けない権利も侵せない。そのような作為は、セカンドレイプに他ならない。
これは「情報に触れなければいい」という議論でもなく、あらゆる性暴力は犯罪なのだ。
(文=編集部)