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【シリーズ「傑物たちの生と死の真実」第16回】

不世出の細菌学者・野口英世、黄熱病の研究と撲滅で向かった西アフリカで客死

 24歳、医師を志す女学生・斉藤ます子と婚約。婚約持参金300円(数百万円か?)を胸に単身アメリカへ。ペンシルベニア大学医学部でサイモン・フレクスナー博士と蛇毒の研究を重ね、アメリカ医学界に「ノグチ」の名を刻む。

 27歳、デンマークのコペンハーゲン血清研究所に留学、血清学の研究に専心。28歳、ロックフェラー医学研究所に移籍。29歳、血脇医師が婚約持参金300円を斉藤家に肩代わりして返済、斉藤ます子との婚約を破棄。

 37歳、梅毒スピロヘータを進行性麻痺・脊髄癆(せきずいろう)の患者の脳内に発見、生理疾患と精神疾患の同質性を初めて証明する。脊髄癆は、脊髄の後根と後索が侵される脳(脊髄)梅毒だ。小児麻痺の病原体特定や、狂犬病の病原体特定などの研究成果も発表。38歳、東京大学から理学博士の学位を授与される。ロックフェラー医学研究所の専任研究員に昇進。初めてノーベル生理学・医学賞候補になる。

 39歳、母との再会を願いつつ、15年振りに郷土の土を踏む。稲田龍吉と井戸泰のワイル病スピロヘータの研究や、伊東徹太のワイル病スピロヘータの純粋培養研究に感化される。2度目のノーベル生理学・医学賞候補となるが、受賞は逃す。

黄熱病に襲われ異国ガーナで無念の客死

 1910年代以降、南アメリカでネッタイシマカを媒介して感染する黄熱病が蔓延する。黄熱病はフラビウイルス属の黄熱ウイルスが起こす出血熱だ。頭痛、嘔吐、目まいに始まり、重症化すると、高熱、吐血、胃腸内出血、黄疸、腎不全などを発症し、わずか1週間で死に至る。黒い血塊を嘔吐することから、黒吐病の異名もある。死亡率は30~50%。当時、病原体はまったく不明。世界中の細菌学者たちが血眼になって解明を急いでいた。

 42歳、英世はロックフェラー財団の要請で黄熱病が猛威を振るう南米エクアドルへ。黄熱病患者の血液を採取し、エクアドルの兵士1000名にワクチン投与、患者に血清注入。発症は収まり、死亡率も16%に減少。「黄熱病の病原体イクテロイデスを発見」と報道される。だが、アフリカの黄熱病に野口ワクチンは効かなかったため、病原体の真偽に疑念が残った。

 48歳、アフリカのセネガルで黄熱病が大発生。だが、英仏の研究者は、病原体のイクテロイデスは発見されない、野口ワクチンは効かないと緊急報告。英世は、教え子のエイドリアン・ストークス博士を現地に急遽派遣するが、感染は収束しない。

 50歳、英世はペルー疣(いぼ)とオロヤ熱が同一の病原である事実をバルトネージャ菌分離と猿による動物実験で検証。一方、南アフリカ出身のマックス・タイラー博士らは、黄熱ウイルスの単離に成功。黄熱病の病原がイクテロイデスとする野口説を反証する。

 「自分は間違っていたのか?黄熱病の病原体を特定せねば!」――1927年11月、西アフリカのガーナ共和国、アクラへ急ぐ。だが、死亡患者の血液から、病原体であるはずのイクテロイデスは検出できなかった。衝撃だった。

 「失敗したらまた、がんばればいいんだ。生きている限り何度でも。それが人間の特権だ」――12月、突然の悪寒と嘔吐に襲われる。翌1928年5月13日、黄熱病と診断されて入院。16日、一旦回復し食欲も戻る。18日、病状が悪化。21日、急逝する。診断からわずか8日、黄熱ウイルスの感染力の脅威!

 「なぜ終生免疫が続くはずの黄熱病に再度かかったのか、どうも私には分からない」――黄熱病と闘い続けた10年、研究途上の急死は無念だったに違いない。死後、イギリス植民局医学研究所病理学者のウイリアム・A・ヤング博士は、英世の血液をサルに接種したところ発症したことから、野口の死因は黄熱病と診断する。6月15日、ニューヨークのウッドローン墓地に埋葬された。

 英世が行った病原性梅毒スピロヘータの純粋培養と黄熱病の研究成果は、学術上、否定されている。だが、蛇毒の最初の病理学的な解明、ガラガラヘビ蛇毒の血清作製の基礎研究、梅毒スピロヘータの発見、ペルー疣(いぼ)と溶血性貧血によるオロヤ熱の検証など、英世が試みた顕微鏡観察による病理学・血清学的研究の新手法は、後の病理学や血清学の進歩に多大な影響を及ぼした。

 「努力だ、勉強だ、それが天才だ。誰よりも、三倍、四倍、五倍勉強する者、それが天才だ。忍耐は苦いが、その実は甘い」

 英世の墓碑には、こう刻まれた。

 HE LIVED AND DIED FOR HUMANITY.
 科学への献身により、人類のために生き、人類のために死す。


佐藤博(さとう・ひろし)
大阪生まれ・育ちのジャーナリスト、プランナー、コピーライター、ルポライター、コラムニスト、翻訳者。同志社大学法学部法律学科卒業後、広告エージェンシー、広告企画プロダクションに勤務。1983年にダジュール・コーポレーションを設立。マーケティング・広告・出版・編集・広報に軸足をおき、起業家、経営者、各界の著名人、市井の市民をインタビューしながら、全国で取材活動中。医療従事者、セラピストなどの取材、エビデンスに基づいたデータ・学術論文の調査・研究・翻訳にも積極的に携わっている。

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