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【連載第6回 いつかは自分も……他人事ではない“男の介護”】

ひとつとして同じもののない「男性介護体験記」が、介護の行く手を照らす

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介護体験には同じものがない

 親が、あるいは妻が倒れた時、介護をする人が自分以外にいなかったら......。何をおいてもやるしかない。介護は待ったなしで始まることが多い。長患いの末の介護ならある程度の準備期間はあるが、突然降り掛かってきた介護に多くの男性介護者は戸惑いつつも、まずは本やインターネットなどで情報を集めるだろう。

 次に役所や地域包括支援センターに出向くのだが、一般論しか言わないために自分が欲しい情報が得られるとは限らない。そもそも自分がどんな情報が欲しいのか、介護の何を聞いたらいいのかわからない、という状況もある。

 戸惑いながら、迷いながらも、介護される親や妻と二人三脚で進むしかなく、外部にまったく助けを求めることをしない、あるいは介護保険サービスを利用することすら思いつかない例も少なくない。

 それが閉塞感を大きく膨らませることになるから、地域の男性介護者の会などに顔を出してみることをお勧めする。先輩の男性介護者からすぐに役立つような情報が得られるとともに、さまざまな体験を聞くことができるだろう。

 私が事務局長を務める「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」では、広く男性の介護体験を募集し、『男性介護者100万人へのメッセージ 男性介護体験記』として現在第5集まで発行している。その一部を紹介しよう。

長男で独身の私が母の介護をするはめに

 

 「母77歳、私55歳の時に、在宅介護が始まった。精神的、肉体的、経済的負担は極限に達する。しかし、どんなにつらく苦しくても、親がいるからこそできる。いなくなってからでは、どんなに後悔してももうできない。これまでよい建築物をつくって世のため人のため会社のため得意先のため力一杯やってきたが、いま振り返ってみると、単に環境破壊していただけかもしれない」

 「親の世話をするということは、古今東西間違いなく絶対的に価値あること。目の前の相手が喜んで柔和な顔になる。耐えきれないようなことも、禅の修行と心得て前向きに。いま『地獄』にいる人たちにエールを送る。介護は、いつの時代、どんな時代でも正しい。私は振り返って母と過ごせた『地獄』は『極楽』だったとつくづく思っている」

 「母の状態でまず戸惑ったのは、ボケと足である。ビジネスで正確なやり取りが基礎となる人生を送っている者にとって、相手の言うこと、やることが信用できないということは、全ての根底が揺らぐ大衝撃である。おそらくこれは、誰もが終始悩まされる難問題。心構えとしては、漫才のボケとツッコミの要領で柔軟に軽やかに対処するのがよい」(茨城県・田中詔)*第2集p030

介護体験に優劣なんかつけられない!

 

 『男性介護体験記』は、当初、優秀な介護体験を選考して一冊の本にまとめれば多くの関係者の目に留まって喜んでいただけるのでは、と編集作業に入った。が、それは全くの勘違いだった。たしかに文章の上手い下手はあるが、介護体験に優劣なんかつけようがない。素朴な語りで綴られた体験記に、深く胸打たれるものが少なくなかった。

 体験記のいくつかが新聞、テレビ、ラジオの特集の素材となるなどメディアに載って広く広報されるや否や、男性介護ネットの事務局には注文が相次いだ。介護者に本当に役立つ「辞書」はまだ世に出現していないため、この体験談集が長い介護の行く手を照らすこともあるようだ。


連載「いつかは自分も......他人事ではない"男の介護"」バックナンバー

津止正敏(つどめ・まさとし)

立命館大学産業社会学部教授。1953年、鹿児島県生まれ。立命館大学大学院社会学研究科修士課程修了。京都市社会福祉協議会に20年勤務(地域副支部長・ボランティア情報センター歴任)後、2001年より現職。専門は地域福祉論。「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」事務局長。著書『ケアメンを生きる--男性介護者100万人へのエール--』、主編著『男性介護者白書--家族介護者支援への提言--』『ボランティアの臨床社会学--あいまいさに潜む「未来」--』などがある。

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