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2014年最大の茶番劇、STAP細胞騒動をまとめる その2

 日本のメディは当初の無批判な「翼賛報道」で大いに信用を落とした。その後の報道で失われた名誉を回復するものと期待した。
 だが12/20〜12/28にかけての各紙の社説には一紙を除いて、まったく失望した。

 理研の最高責任者である野依理事長は、医学・生物学の素人であるにもかかわらず、STAP細胞が上手く時流に乗り、理研が特権的機関として政治的に位置づけられそうな間は、表にしゃしゃり出て自分の手柄のように振る舞っていた。だが、STAP細胞が虚構であることが明らかになり、戦局が敗色を濃くすると、前線に出なくなった。まるで比島の戦いで、「小官も必ず諸君の後に続くから」と督戦して、多くの特攻隊員を送り出しながら、自分は特別機に乗って台湾に無断脱出し、戦後もおめおめと生きのびた、旧陸軍の第四航空軍司令官冨永恭次(中将)と同じではないか。(冨永恭次は『コンサイス日本人名辞典』のような小さな人名辞典にも卑怯者として載っている。)

 野依良治もノーベル賞受賞者としてではなく、11年間も理研の独裁者として君臨したあげく、スキャンダルの決着を先送りすることで、理研と日本の科学に対する信用をがたがたに失墜させた人物として、語り継がれるだろう。
 
国際的な科学社会において、日本が失った信用は「和田心臓移植」事件に匹敵する。あの後遺症で日本の移植医療は「失われた50年」が持続している。国際移植学会の指導者からは「日本は最初の心臓移植が殺人だったから、臓器移植が進まないのだ」と今でもいわれる。

 だが、12/27「毎日」が報じた如く、
「<理研幹部の責任は?>:(調査委員)有信氏=理事長はすでに各理事に厳重に注意の処分をし、理事長と各理事を含めて自ら減給している。これで理事長、理事に関する処分は行われたと理解している。」そうだ。
 
 その理事長減給の内容たるや、たった「3ヶ月間減給10%」(2Ch、生物板スレ「STAP疑惑No.800」)だという!一旦は追われたアップルに復帰したスティーブ・ジョブズは、年俸1ドルで生命をかけて働き、会社の建て直しに成功した後、膵臓がんの肝転移に倒れた。彼の夢と無私の精神に人びとが感動するのである。

曖昧な決着にまっとうな記事をかけない各報道機関

 この曖昧で、納得の行かない決着を、「調査委の調査打ち切りは、落ちが不出来のミステリーを読まされた感じだ」(12/27日経「春秋」)、「理研には(桜の木を切ったのは私ですと名乗り出た)正直者のワシントンはいなかった」(12/27「産経抄」)、「日本をおとしめた朝日とSTAP細胞問題に揺れた理研が駆け込みで会見したのも年神様にいい顔をするための<煤払い>だったか」(12/28「産経抄」)とコラムで皮肉る程度で、各紙社説のお粗末さには失望した。

 朝日は理研の外部調査委の発表前の12/20に気の抜けたような社説を1本載せたきり。読売も同日付で「STAP作れず、細胞の正体は何だったのか」という自らの軽信をそっちのけにした社説を載せたきり。12/27毎日社説は「STAP不正 科学研究の原点に戻れ」というピントはずれ。科学研究自体がいまや不正の温床になっていることへの洞察がない。

 12/27共同のSTAP問題「解説記事」(これは日下公人『<反日>地方紙の正体』、産経新聞社、が明らかにしているように、地方紙の社説ネタとして利用される。)は「厳しい眼、寛容さを失う社会を象徴か、騒動の背景に」という論調を展開している。論点のすり替えだ。
 12/27日経は「STAPが問う理研の責任」とまっとうな姿勢での論調だが、問い方が生ぬるい。
 http://www.nikkei.com/article/DGXKZO81412630X21C14A2EA1000/

 唯一、12/28産経社説「主張」の「STAP問題 <全容解明>を放棄するな」
 http://www.sankei.com/column/news/141228/clm1412280001-n1.html

 が、真正面から問題の所在と解決のあり方を論じていて、相対的に質の高い論評だといえよう。産経の政治的主張には個人的には異論も多く持っているが、一貫して事実を明らかにし、それに基づいて論理を組み立てようとする姿勢にはエールを送りたい。
 
 私は朝日新聞社と同様に、トップの首をすげ替えないと、巨大科学研究組織(年間830億円の国費が投入されている)の改革と事件の再発防止はできないと思う。繰り返して言ってきたことだが、「日本版ORI」の設立がぜひとも必要だ。それこそ職のない若い科学者に新たな雇用の場を与えるだろう。

(文=広島大学名誉教授・難波紘二)メルマガ『鹿鳴荘便り』(12/28)より抜粋

難波紘二(なんば・こうじ)

広島大学名誉教授。1941年、広島市生まれ。広島大学医学部大学院博士課程修了。呉共済病院で臨床病理科初代科長として勤務。NIH国際奨学生に選ばれ、米国NIHCancerCenterの病理部に2年間留学し血液病理学を研鑽。広島大学総合科学部教授となり、倫理学、生命倫理学へも研究の幅を広げ、現在、広島大学名誉教授。自宅に「鹿鳴荘病理研究所」を設立。2006年に起こった病気腎移植問題では、容認派として発言し注目される。著書に『歴史のなかの性―性倫理の歴史(改訂版)』(渓水社、1994)、『生と死のおきて 生命倫理の基本問題を考える』(渓水社、2001)、『覚悟としての死生学』(文春新書、2004)、『誰がアレクサンドロスを殺したのか?』(岩波書店、2007)などがある。広島大学総合科学部101冊の本プロジェクト編『大学新入生に薦める101冊の本』(岩波書店、2005)では、編集代表を務めた。

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