五輪で国民蹂躙する菅政権
だが、菅首相は尾身会長がただした開催の理由について「まさに平和の祭典で、一流のアスリートが東京に集まって、スポーツの力で世界に発信していく。さらに、さまざまな壁を乗り越える努力をして、障害者も健常者も、そうした努力をしっかりと世界に向けて発信していく」と応えた。さらに、東京五輪について分科会に意見を求めることを拒否している。
それにしても、これだけの異常事態を出現させておきながら、開催の理由が「平和の祭典」だというのは驚く。さまざまな変異株の出現で感染リスクの増大が危惧される中で、「平和の祭典」ならウイルスの世界的な拡散のリスクは免れるとでもいうのか。アスリートの頑張る姿はコロナの感染リスクを超越するほどありがたいものなのか。
菅首相は極めて即物的で視野が狭く、総合的にものをとらえることができない。それは自分に意見するものを人事で脅し、気骨ある忠告者ほど切り捨て、周りにはゴマすり官僚や政治家しか寄りつかないからだ。間違いを修正できないコロナ対策をめぐる菅首相の対応は、彼の頭の中とその限界を映し出す鏡だったといえる。
第2次安倍政権以後、為政者たちはたびたび強権を発動し、権力を私物化し、強引にものごとを押し進めてきた。それは民主主義の破壊行為以外の何ものでもない。それによる直接的被害がこの夏、国民を襲う形でやって来るのではないか。つまり、東京五輪とコロナ対応は安倍政権から菅政権に至る自民党政治が行ってきたことの総決算となる。次々と起きる理不尽を前にそう確信する。
(文=荒木健次/ジャーナリスト)
※月刊『地域と労働運動』(ぶなの木出版) 第249号(5月25日付)より転載、一部加筆
PART1『厚労省医系技官の怠慢と政治家たちの甘い判断が生んだ醜悪な状況』
PART2『天下の愚策 GoToトラベルに異様なまでの執着を見せた菅政権』