28歳、進行性膀胱がんが発覚!名人位への夢は断たれたが!
この頃から体調が悪化し、脱力感や血尿に悩まされる。持ち時間の長い順位戦の不振が響く。28歳。B級1組に降級。その直後、進行性膀胱がんが発覚、広島大学病院に緊急入院する。
村山は子供を作れなくなるのを恐れるが、手術を決断。6月16日の手術は、片方の腎臓と膀胱を摘出する8時間半の大手術に。抗がん剤治療も放射線治療も脳への悪影響や対局への支障を懸念して拒否。休場することなく、指し続ける。
手術後の復帰戦は熾烈な攻防になった。7月14日の第56期B級1組順位戦2回戦で丸山忠久九段(のち名人)に挑戦。総手数173手の深夜に及ぶ激闘の末、玉を詰めず惜敗。病苦に耐えながらの名局と伝わる。敗れたものの、A級に復帰。
NHK杯戦の決勝では羽生に破れ、通算対戦成績6勝7敗に。局後のインタビューでは、笑顔で「優勝したはずなんですが、ポカしてしまいました」と冗談を放つゆとりを見せる。
28歳の春、腎臓がんの再発・転移が見つかる。「1年間休戦し療養に専念」と発表。森は「1年休んだら弱くなるぞ」と念を押すが、村山は「命のほうが大事ですから」と、負けず嫌いらしからぬ返答に、森は「変わったな」と思う。
3月、最後の対局は5戦全勝。A級復帰祝賀会が開かれる。1998年版『将棋年鑑』に「今年の目標は、生きる」と書き残す。8月8日。名人になる夢が叶う日は、ついに来なかった。だが、安らかに旅立つ。