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【シリーズ「あの人はなぜ死に急いだのか?スターたちの死の真相!」第7回】

石原裕次郎の死因とは?大ケガ、大事故、大手術が続いた「嵐を呼ぶ男」の生涯

裕次郎を絶息させた肝細胞がん(肝がん)とは?

 裕次郎を絶息させた肝細胞がん(肝がん)とは何か?

 「沈黙の臓器」とも呼ばれる「肝臓」は腹部の右上にあり、成人で800~1200gの体内最大の臓器。必要な栄養分を吸収・分解し、体内・体外の有害物質を解毒・排出する重要な働きがある。

 肝臓がんは、肝臓にできる「原発性肝がん」と別の臓器から転移する「転移性肝がん」に分かれる。原発性肝がんは、肝臓の細胞ががんになる「肝細胞がん(肝がん)」と、胆汁を十二指腸に流す胆管細胞ががん化する「胆管細胞がん」のほか、小児の肝がんの「肝細胞芽腫」、成人の「肝細胞・胆管細胞混合がん」「未分化がん」「胆管嚢胞腺がん」「神経内分泌腫瘍」などの希少がんに分かれる。

 日本では原発性肝がんのうち、肝細胞がん(肝がん)がおよそ90%を占める。肝細胞がん(肝がん)の原因は何か?

 第1は「肝炎ウイルスの持続感染」。肝炎ウイルスの持続感染が起きると、長期にわたる肝細胞の炎症が遺伝子の突然変異を誘発し、肝細胞がん(肝がん)に進む。肝炎ウイルスはA、B、C、D、Eなどさまざまな種類があるが、肝細胞がん(肝がん)が関わるのは「B型」、「C型」の2種類。日本では、肝細胞がん(肝がん)の約60%が「C型肝炎ウイルス(HCV)」の持続感染、約15%が「B型肝炎ウイルス(HBV)」の持続感染に起因する。つまり、肝細胞がん(肝がん)は、肝炎ウイルスの感染予防と、持続感染者に対する肝細胞がん(肝がん)の発生予防が要になる。

 B型、C型肝炎ウイルスに感染すると、B型肝炎の約10%、C型肝炎の約70%は、慢性肝炎に至る。慢性肝炎に陥ると、炎症によって肝臓の繊維化が進むため、肝硬変や肝細胞がん(肝がん)になりやすくなる。

 B型慢性肝炎、C型慢性肝炎、肝硬変を招いた状態を「肝がんの高危険群(ハイリスクグループ)」と呼ぶ。高ウイルス量、肝臓の線維化の悪化、高齢、飲酒歴などの複合因子が重なれば、発がんリスクがさらに高まる。

 肝細胞がん(肝がん)は、ウイルス感染以外に、大量飲酒と喫煙、強度のストレスや生活の乱れ、糖尿病などの生活習慣病、食事に混入するカビ毒のアフラトキシンなどが誘因となって発症しやすい。

裕次郎は、C型肝炎ウイルス(HCV)の抗体陽性のために急死した可能性が

 肝炎ウイルスに感染すると、急性肝炎になり、まず全身の倦怠感、食欲不振、尿の濃染(尿の色が紅茶のように濃くなる)、黄疸(おうだん)を誘発する。進行すれば、腹部のしこり、圧迫感、激痛、膨満感、血圧低下をはじめ、だるさ、微熱、便秘、下痢、貧血、こむら返り、浮腫(むくみ)、皮下出血などが現れる。特に肝硬変が進むと、腹水(おなかにたまった体液)の出現、静脈瘤破裂による大量の吐血や下血、肝性脳症(アンモニアが代謝されずに貯留する意識障害)を起こすリスクが高まる。

 B型やC型肝炎ウイルスに感染すると、インターフェロン(注射薬)や核酸アナログ製剤などの経口薬による抗ウイルス療法やウルソデオキシコール酸・グリチルリチン製剤などの肝庇護(ひご)療法が行われる。さらに、最近は、インターフェロンを使わず、C型肝炎ウイルスの増殖に関わるタンパクを阻害する内服薬だけを組み合わせる治療法もある。B型ウイルス肝炎についても、内服薬の抗ウイルス薬(エンテカビル、テノホビルなどの核酸アナログ製剤)によって、肝硬変や肝細胞がん(肝がん)を抑制する知見が確立されつつある。

 B型、C型肝炎ウイルス感染は、自覚症状が出にくいため、早期に知り、日ごろから定期検査を受け、適切に対応することが肝要になる。肝硬変や肝細胞がん(肝がん)の罹患率も死亡率も、男性の方が高く、女性の約2~3倍。男性45歳、女性55歳から増加し、70歳代に横ばいになる。

 罹患率と死亡率の年次推移を生まれた年代別にみると、男女とも1935年前後に生まれた人は、C型肝炎ウイルス(HCV)の抗体陽性者の割合が高いことから、発症率が高い。死亡率は、東日本より西日本の方が高い傾向がある(参考:国立がん研究センターがん情報サービスhttp://ganjoho.jp/public/cancer/liver/)。

 このような様々な根拠と機序から、裕次郎は、ウイルス感染(C型肝炎ウイルスの抗体陽性)のほか、大量飲酒、喫煙、ストレス、生活習慣病、生活の不摂生などが複合した結果、肝細胞がん(肝がん)を発症して死亡した公算が強い。

兄・石原慎太郎の芥川賞受賞作を映画化した『太陽の季節』に端役ながらデビュー

 石原裕次郎。1934(昭和9)年12月28日、兵庫県神戸市須磨区生まれ。北海道小樽市、神奈川県逗子市に育つ。身長178cm、血液型A型。愛称はタフガイ・裕ちゃん・ボス・ユージローなど。兄は政治家・作家の石原慎太郎。

 慶應義塾高等学校を卒業後、慶應義塾大学法学部政治学科に進学。放蕩生活に明け暮れる。在学中にトライした東宝、大映、日活のオーディションは、ことごとく不合格。21歳。兄・石原慎太郎の芥川賞受賞作を映画化した『太陽の季節』に端役ながらデビュー。慎太郎は、映画プロデューサー水の江瀧子に「裕次郎って弟がいるんだけど、遊び人でどうしょうもない奴で……弟を出してくれるんなら」と条件を出すと、瀧子は、しぶしぶ首を縦に振る。裕次郎に運が向く。裕次郎が初めて日活撮影所へ立ち寄った時、素肌にヨット・パーカー、海水パンツにゴム草履履きの出で立ち。居合わせた宍戸錠や小林旭を唖然とさせる。

 慶應義塾大学を中退後、日活に入社。『太陽の季節』に続いて製作された慎太郎原作の映画『狂った果実』に後に妻となる北原三枝と主演。無鉄砲・破天荒な若者の怪演に賛否の嵐が巻き起きる。主演映画がミラクルヒット。瞬く間に波乱含みの昭和をシンボライズするアウトロー・スターの座をほしいままに。「銀座の恋の物語」「二人の世界」「夜霧よ今夜も有難う」などの歌謡曲もウルトラ・ヒットを放つ。

 29歳。石原プロモーションを設立。1970年代以降は映画から離れ、『太陽にほえろ!』『大都会』『西部警察』などのテレビドラマで獅子奮迅の大活躍。「人の悪口は絶対に口にするな、人にしてあげたことはすぐ忘れろ、人にして貰ったことは生涯(一生)忘れるな」をポリシーに生きる。

 俳優、声優、歌手、司会者、モデル、実業家、ヨットマン……。虚々実々のマスクを持つ裕次郎。墓碑(神奈川県横浜市鶴見区の總持寺)にこう刻まれている。

 「美しき者に微笑を、淋しき者に優しさを、逞しき者に更に力を、全ての友に思い出を、愛する者に永遠を。心の夢醒める事無く」

*参考文献:佐野眞一『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』(講談社 2003年)

(文=佐藤博)

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佐藤博(さとう・ひろし)
大阪生まれ・育ちのジャーナリスト、プランナー、コピーライター、ルポライター、コラムニスト、翻訳者。同志社大学法学部法律学科卒業後、広告エージェンシー、広告企画プロダクションに勤務。1983年にダジュール・コーポレーションを設立。マーケティング・広告・出版・編集・広報に軸足をおき、起業家、経営者、各界の著名人、市井の市民をインタビューしながら、全国で取材活動中。医療従事者、セラピストなどの取材、エビデンスに基づいたデータ・学術論文の調査・研究・翻訳にも積極的に携わっている。

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