認知症の中核症状の治療薬は4種類
このように移植医療に大きな貢献を果たす臍帯血だが、認知症を克服できる創薬の可能性はあるだろうか?
厚生労働省によれば、認知症の患者数は約462万人(2012年)。約10年で1.5倍に増え続け、2025年におよそ700万人に到達するため、65歳以上のおよそ5人に1人が認知症になると推定。社会的コストは、2035年におよそ22兆9000億円に膨らむ。
認知症は、アルツハイマー型認知症(約50%)、脳血管型認知症(約20%)、レビー小体型認知症(約15%)、前頭側頭型認知症(約15%)に大別(発症率)される。
認知症の中核症状は、脳の神経細胞の破壊による記憶障害だが、論理的な思考力・判断力の阻害、時間・場所・状況を正しく認識できない見当識障害、妄想・幻覚・暴力・徘徊を伴う行動・心理症状、うつ・不安感・無気力の感情障害も伴う。
厚生労働省が公表している精神疾患に関する統計データ、資料、治療ガイドラインによれば、認知機能の改善薬や根本治療薬の開発が期待できるのはアルツハイマー型認知症だけ。2016年1月現在、国内で認可されている認知症の中核症状の治療薬(4種類)と周辺症状の改善薬がある。
だが、いずれの治療薬も、認知症の症状を緩和し、進行を遅らせ、認知機能の改善を図る効果は期待できるものの、完治を実現する根本治療薬ではない。
中核症状の治療薬は、興奮を弱めるアセチルコリンエステラーゼ阻害薬(AChE)のアリセプト(ドネペジル)、レミニール(ガランタミン)、リバスタッチパッチ/イクセロンパッチ(リバスチグミン)、覚醒作用が強いNMDA受容体拮抗薬のメマリー(メマンチン)の4種類。周辺症状の改善薬は、陽性反応に処方する抑制系の薬剤(グラマリール、抑肝散、ウインタミン、セレネース、セロクエル、セルシン、リスパダール)、陰性反応に処方する興奮系の薬剤(サアミオン、シンメトレル)がある。
これらの治療薬のうち、NMDA受容体拮抗薬のメマリーは、アセチルコリンエステラーゼ阻害薬とは異なる作用があるため、アセチルコリンエステラーゼ阻害薬のうちの1剤とのみ併用できるのが特徴だ。
また、NICE(英国立臨床評価研究所)のガイドライン(2006年)は、アセチルコリンエステラーゼ阻害薬を軽中度のアルツハイマー型認知症の改善薬に推奨しているが、軽度認知障害には処方できないとしている。さらに、2014年に米国老年医学会(AGS)は、認知症の改善と消化器系の副作用を定期的に評価しない限り、アセチルコリンエステラーゼ阻害薬の処方を禁じている。
アルツハイマー型認知症の根本治療薬の可能性はあるか?
アルツハイマー型認知症を始めとする認知症の根本治療薬の開発は、さまざまな課題を抱え、遅々として進まない。なぜだろう?
たとえば、アミロイドβタンパク質(Aβ)が神経細胞を破壊する脳のメカニズムの変化過程が未解明であることから、患者の臨床症状の所見だけで治療の効果判定を行うのは不確実性が高いので、効果判定には疾患の機序を確実に特定できるバイオマーカーの発見が欠かせない。
しかも、軽度認知障害や軽症アルツハイマー病を対象とする治験は、長期間にわたる莫大な費用投資が必要になる。アルツハイマー型認知症を始めとする認知症の発症・進行過程を確実に反映する客観的評価法の開発が急務だ。
このような国際的な認識と社会的な機運を受けて、2005年、アルツハイマー病の発症予測や治療薬の効果判定法の確立をめざす臨床研究、ADNI (Alzheimer's Disease Neuroimaging Initiative)が米国で立ち上がり、EC・オーストラリアでもスタートした。
2007年、厚生労働省とNEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)が主導し、大学病院など38の医療・研究機関が参加するアルツハイマー病の先導的研究プロジェクト、J-ADNI(Japanese Alzheimer's Disease Neuroimaging Intiative)が起動した。
J-ADNIは、核磁気共鳴画像法(MRI)を用いた脳容積測定、ポジトロン断層法(PET)による機能画像評価や神経画像イメージング、血液・脳脊髄液のバイオマーカー測定によって、軽度認知障害からアルツハイマー型認知症への進行を正確かつ客観的に評価し、根本治療薬の治験につなげるのがネライだ。
アルツハイマー型認知症の根本治療薬の可能性はあるだろうか?
アルツハイマー型認知症は、老人斑の主成分であるアミロイドβタンパク質(Aβ)が神経細胞を破壊するために発症する。したがって、Aβワクチン療法や、抗Aβモノクローナル抗体療法が創案され、としてβ-セクレターゼ阻害薬、γ-セクレターゼ阻害薬、ネプリライシンなどのAβを除去する改善薬の包括的な臨床研究が世界中の研究者の知見を結集して進められている。
その他、散歩などによって昼夜の生体リズムを回復しながら、認知機能障害を改善する高照度光療法、なじみのある写真や記念品をそばに置いて、安心感を育む回想法、昔のテレビ番組を見るテレビ回想法、デイサービスを活用するなど、薬物以外の心理・社会的介入も試みられている。
繰り返すが、認知症の根本治療薬はない。症状の進行は個人差があり、高度の認知症に至るまで、およそ3~10年もかかる。しかし、薬物投与が早ければ早いほど、より改善効果が高い事実は揺るがない。克服へのハードルは依然として高いが、早期発見・早期治療・早期再起のアドバンテージは、認知症患者が握っている。
冒頭に紹介した臍帯血で認知機能(記憶力)が回復した研究も希望を与える。
「信じるのよ。さっきも言ったでしょ? 信じていれば怖いことなんて何もないのよ。楽しい思い出や、人を愛したことや、泣いたことや、子供の頃のことや、将来の計画や、好きな音楽や、そんな何でもいいわ。そういうことを考えつづけていれば、怖がることはないのよ」――『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』村上春樹
(文=編集部)
*参考文献:下方浩史.我が国の疫学統計.日本臨床 増刊号 痴呆症学3 2004;62増刊号4:121-125、朝田隆.厚生労働科学研究費補助金 長寿科学総合研究事業 若年性認知症の実態と基盤整備に関する研究 平成20年度 総括・分担研究報告書、2009年 ほか