日本では患者数の少ない疾患に永遠に薬は届かない
そして、私が思うのは、このレベルのデータでは、日本では絶対に承認されないだろうということだ。現実問題として、患者さんの数も非常に少なく、数カ月単位、あるいは、年単位で病気が進行するため、臨床的な効果(筋力の低下が抑えられるなどの評価)を検証することは極めて難しい。しかし、日本には臨床的な効果だけしか、エビデンスと思わない非科学的な考えがまかり通っている。科学的な思考のできない人たちが闊歩している。
臨床的な効果が確認されていないのに承認されるのはどうしてか?答えは簡単だ。承認によって保険適応となると(米国では保険の種類によって適応されるかどうかが決まるので、平等なアクセスとは言えないが)、多くの患者さんがアクセス可能となり、それらの情報を収集して臨床的な効果を検証できるからだ。患者数の少ない疾患や臨床評価に長期間かかるような疾患に対しては、特段の配慮をしない限り、永遠に薬は届けられない。
振り返れば、滑膜肉腫の治療用抗体の臨床研究への支援を国に求めた時、「稀な病気の治療薬の開発など意味があるのか?」というコメント共に却下された。患者数の少ないがんの治療薬開発など、大手企業が熱心にするはずがない。国や大学こそ、そのような疾患に対しての治療薬開発に努めるべきなのだ。こんなアホなコメントをしても誰も責任をとらない。それが、日本の抱えている問題なのだ。
治療できない疾患を治療可能にするためには、患者さんの協力も含め、それに沿った体制作りが必要だ。今回の治療薬承認は、多くの示唆に富んでいる。単なる薬剤の承認ではなく、その背景となる思想・理念を理解することが大切だ。
※『中村祐輔のシカゴ便り』(http://yusukenakamura.hatenablog.com/)2016/0922 より転載