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【シリーズ「傑物たちの生と死の真実」第17回】

「先端巨大症」と戦い続けたアンドレ・ザ・ジャイアント

 ミスター高橋は「アンドレは、身長の伸びるのが止まらないのをひどく気にしていた」と『悪役レスラーのやさしい素顔』で回想する。先端巨大症の苦痛と闘っていたアンドレ。数十年にわたる激烈過酷なマッチは、アンドレの両膝、関節、背骨を極限まで痛めつけた。引退後の晩年、米国ノースカロナイア州の片田舎に広大な牧場を買い、多くのイヌやネコとひっそりと暮らした。だが、両手で杖をつき、歩行もままならない状況だったという。

 苦境に追い打ちをかけたのが、巨体にもの言わせて若い時から抜け出せなかった過度の飲酒癖だ。全盛期はビール、晩年はワインを鯨飲。飲酒量が桁違いだったため、「店ごと飲み込んだ」など酒にまつわる奇談は数知れない。試合前に何本も飲み干し、ほとんどトレーニングをしなかったので、心臓や肝臓への負担は避けられなかった。悪性のアルコール依存症とオーバーウエイトに祟られ、糖尿病の併発や内臓の衰弱と死闘していたのではないか?

 1993年、実父の葬儀へ出席するためにフランスに帰国。その直後、パリのホテル滞在中の1月27日、急性心不全で急死。享年46だった。遺書にこうある。「死後48時間以内の火葬を厳守すること 」。WWF(ワールド・レスリング・フェデレーション)は、生前の活躍に敬意を表してWWF殿堂を設立。アンドレに殿堂入り第1号の栄誉を贈った。

 「It's not my business.(仕掛けたのは俺の意思ではない)」。「底が丸見えの底なし沼」というプロレス界の地獄で、アンドレが一生を賭けて闘った敵は何か? それは、異形、異端、異様、破格、壮絶、非凡! 先端巨大症という因果を背負った”モンスター”の悲哀と慟哭ではなかったか?


佐藤博(さとう・ひろし)
大阪生まれ・育ちのジャーナリスト、プランナー、コピーライター、ルポライター、コラムニスト、翻訳者。同志社大学法学部法律学科卒業後、広告エージェンシー、広告企画プロダクションに勤務。1983年にダジュール・コーポレーションを設立。マーケティング・広告・出版・編集・広報に軸足をおき、起業家、経営者、各界の著名人、市井の市民をインタビューしながら、全国で取材活動中。医療従事者、セラピストなどの取材、エビデンスに基づいたデータ・学術論文の調査・研究・翻訳にも積極的に携わっている。

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