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【連載第7回 薬は飲まないにこしたことはない】

新薬は人体実験!? 医療界の癒着によって「薬害」の危険性が見過ごされている!

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新薬は人体実験のようなもの!? shutterstock

「新しい」という言葉には魔力がある。薬の場合も「新薬」と言われると「効果が高い」と錯覚し、大きな期待を抱く人も多い。

 しかし、新薬は「その薬を飲んだことのある人が少ない」ということでもあり、新薬を使用することは、まるで自分が実験台になるようなものだ。すでに新薬しか治療手段がないという難病などでなければ、安易に新薬を試すことは控えたほうがよいだろう。

 薬の添付文書にある「使用上の注意」には、薬の飲み合わせや体質との相性に関する禁忌事項が記載されているが、これは開発段階で判明したことだけではない。臨床の場で投与して初めてわかった副作用などを踏まえた結果、禁忌となることもあるのだ。体内でどんな化学反応が起こるかは実際に使用してみないと分からず、新しい薬ほどそのリスクは高くなる。

 従って、必ずしも「新しい薬」が「良い薬」というわけではない。薬の有効性とリスクを十分に認識してから使うよう心がけたい。

薬害問題の根源は医療界の癒着にある

 市場には多くの薬が流通しているにもかかわらず、現在もなお継続して「新しい薬」が開発されている。これに伴い薬の副作用も次々に報告されているが、なかには後遺症や死亡など重大な事態を引き起こす例もある。

 抗インフルエンザ薬のタミフルや子宮頸がんワクチン投与後に起こった深刻な事態は、因果関係が明らかになっていないものの、メディアでも大きく取り上げられた。だが、これらは氷山の一角にすぎず、表に出てこない副作用は膨大な数に上る。

 薬は本来つらい症状の回復を助けるべきものなのに、なぜ繰り返し重大な副作用や薬害が起こるのだろうか?

 それは薬と体質の相性だけではない。薬が開発・承認される背景には、「薬害の可能性があっても見過ごされる構造」があるからだ。

 薬を開発する製薬会社は企業であり、利益の追求が不可欠なため、日夜、新薬の研究が行われている。たとえ巨額の研究費がかかっても、開発した薬が承認されれば、会社にとって大きな収入源になる。しかし、薬の効果が疑問視されると、その費用も研究自体も水の泡になってしまう。そのため製薬会社は新薬の発表と認可を取るために、必死にならざるを得ない。

 深刻な被害があったわけではないが、2013年に「薬害の可能性が見過ごされる構造」を象徴する事件が起こった。ノバルティス ファーマ社の血圧降下剤ディオバン(一般名バルサルタン)を巡り、複数の大学の論文に使用された臨床データに不正があったことが発覚する。いずれも同社社員が関与しており、このデータを提供した大学は同社から多額の寄付金を受け取っていた。

 本来なら、大学は薬の効果を客観的に調べなければならない立場にある。それにもかかわらず、金銭提供を巡り大学は製薬会社と癒着し、この事態を引き起こした。薬の臨床データは人命に関わる重要なもので、それを改ざんすることは決して許されないことだ。

 この事件は特に悪質でニュースにも取り上げられたが、こうした医療界内の関係性は決して珍しいことではない。

 製薬会社は医学学会のスポンサーであり、大学にも巨額の寄付金を支払っている。また、医学雑誌に広告も出している。製薬会社は、利益供与することで確固たる地位を築いているのだ。

 そのため、薬をつくる第一の目的が、患者ではなく利権をつくることになってしまう。このままの状況では、重大な副作用や薬害の可能性のある薬が見逃された結果、承認され、市場に流通してしまう、というリスクはなくならないだろう。

※副作用:病気を治す以外の好ましくない作用
※薬害:有害な作用の発生で社会問題になるまで被害規模が拡大したもの

連載「薬は飲まないにこしたことはない」バックナンバー

宇多川久美子(うだがわ・くみこ)

薬剤師、栄養学博士(米AHCN大学)、ボディトレーナー、一般社団法人国際感食協会代表理事、ハッピー☆ウォーク主宰、NPO法人統合医学健康増進会常務理事。1959年、千葉県生まれ。明治薬科大学卒業。薬剤師として医療の現場に身を置く中で、薬漬けの医療に疑問を感じ、「薬を使わない薬剤師」を目指す。現在は自らの経験と栄養学・運動生理学などの豊富な知識を活かし、薬に頼らない健康法を多方面に渡り発信している。その他、講演、セミナー、雑誌等での執筆も行っている。最新刊『薬を使わない薬剤師の「やめる」健康法』(光文社新書)が好評発売中。

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