隠蔽され続ける陽性者の数
これまでに、科学的なコロナ感染症対策を提案してきました。その重要な基本データは市中感染者数情報です。ところがこの一年半、ずっと日本ではその情報が収集もされず、公開もされていません。
報道でも、政府自治体専門家も、そしてネット上でも本メルマガでも、大抵の方は公表新規感染者数を市中での感染者数を表していると解釈しているように思えます。政府自治体の発表する感染者数情報に騙されて誤誘導されていると恐れます。その根拠を説明します。
まず公表新規感染者数の由来です。有症状やクラスター対策での行政検査や保険適用検査での新規陽性者数を公表しているのです。無症状者を積極的には検査していません。モニタリング検査や大都市で普及している民間自費検査での陽性判明者は、再度公的検査を受けて陽性確定されます。
次に、コロナ感染症の特徴です。日本ではその発症の特徴を明確には調査されていないように思います。そこで当初挙げられた性質をそのまま仮定して利用します。感染した場合の2割程度が有症状になり、残りが無症状とします。その割合の精度の高い見積もりが欲しいところです。また発症してから2週間隔離が必要と言うことで、その間は感染源になりうるとされます。つまり感染後6日で発症、さらに2週間を加えて20日程度は感染源になりうるとします。その詳細情報も欲しいところです。
戦中の、大本営発表の情報隠蔽とおなじ感染者数
すると、例えば都で現在(7月20日)約1000人の公表新規感染者数、その半数近くが有症者とします。あとはクラスター対策や民間自費検査経由の無症状者と考えます。すると毎日500人が有症者なので、500/0.2=2500が市中での新規感染者数と見積もれます。そしてその8割近くの無症状者が市中に潜伏して、20日近く感染源であり続ける可能性があります。つまり2000×20=4万人が市中感染者数(=感染源)となります。その4万人を考慮せず、公表新規感染者数1000人だけを問題にしているのが、政府自治体専門家報道ネットです。国民はそんな隠蔽情報に惑わされていると憂えます。
例えば、世田谷区では高齢者施設での定期PCR検査をしています。先日ネット上で約2万の検査件数で100人程度の陽性判明と報じていました。陽性率0.5%と考えられ、それをそのまま市中感染率とするかは問題ですが、そのまま都に適用すると14百万×0.005=7万人の感染者数と見積もれます。ところが日本ではモニタリング検査もあまり行われず、また都会の民間自費検査の検査数も陽性率(市中感染率を代替すると考える)も公開されていません。
つまり、実際の市中感染者数情報に対し、国民はずっと目隠しされたままで、恣意的に低く抑えられた公表新規感染者数だけを基盤データにしてコロナ対策をしているのです。民間自費検査を民間に任せてその情報を無視する政府自治体専門家の情報隠蔽作戦に国民が騙されているのではないでしょうか。(戦中の、大本営発表の情報隠蔽と国民総玉砕への誘導と重なって見えるのです。)
いまからでも感染状況を詳細に把握する努力を
日本では、市中感染者数情報を公開、国民と情報共有することで、国民性からは自主的に緩い自粛的行動をして感染拡大を抑えられるはずです。また、実際の市中感染者数に対応して無料PCR検査数や民間自費検査数を増減して、無症者を特定・隔離し、感染拡大を抑えられます。(この科学的対策法を何度かに渡り本メルマガに投稿説明しました。)これが政府自治体が実施すべきコロナ対策のはずです。国民の行動抑制や時短休業要請などでは決してあるべきではないと批判します。そして、こうした対策が取れるなら、オリンピックも有観客開催が可能になると期待します。
ところが、このままの検査体制、検査情報も非公開のままでは、オリンピックはせいぜい無観客が当然で、むしろオリンピックを開催する資格が無いとまで言えると恐れます。
是非オリンピックの開会式までに、または開催中にでも、政府自治体報道が大反省し、感染状況を詳細に把握し、国民と共有する対策に大変革して頂けますよう願っています。(文=山登一郎)
※関連記事
「新型コロナ感染症の感染状況を微生物学の培養工学における連続培養法との類
似性から分析する」
(http://expres.umin.jp/mric/mric_2021_069070.pdf)
「新型コロナ感染症の市中感染状況を国民の誰もが未だに把握しない、把握できないで進んで行ってしまう不思議」
(http://medg.jp/mt/?p=10313)
「非科学的なコロナ感染症対策からの脱皮:科学的対策手順の提案」
(http://medg.jp/mt/?p=10357)
山登一郎(やまと・いちろう)
東京理科大学基礎工学部名誉教授
東京大学理学部生物化学科卒業。
1977年、東京大学理学部生物学科植物学教室助手
1979年、スイス・バーゼル大学バイオセンター研究員(1983年まで)
1988年、東京理科大学基礎工学部生物工学科助教授
1996年、同教授
※MRIC by 医療ガバナンス学会発行 http://medg.jp/mt/?p=10406 2021年7月22日より抜粋