沖田総司の「玉虫色の伝説」
短気狼藉! 先陣を切って斬り込む新選組一番隊隊長! 刀術の天才は白皙(はくせき)の美剣士! 目にも止まらぬ速攻剣技の三段突き! 師範の近藤より恐れられ、「刀で斬るな! 体で斬れ!」と恫喝。また周囲からは、「沖田は猛者の剣、斎藤一は無敵の剣」とも言われた。新町の廓九軒町吉田屋で天神(遊女)を買うも、池田屋襲撃で不覚の喀血! 不治の病、肺結核(労咳)の闘病! 享年27の夭逝……。
綿々たる歴史の大舞台に跳梁し、夥しいエピソードに彩られた傑物ほど、絢爛勇猛なる「玉虫色の伝説」の洗礼を受けやすい。人物像の偶像化、生い立ちや足跡の美談化、生き様の神格化が蔓延(はびこ)りやすい。古今東西、大衆は流言飛語に惑わされ、ゴシップに陶酔しやすい。
尊皇攘夷と倒幕の嵐が吹き荒み、風雲急を告げた幕末の激動期の最中、民衆は戦火を浴びて暮らしは千々に乱れてえいただろう。昼夜、飢えに苛まれ、悲嘆に暮れる。流血沙汰に逃げ惑う。民衆のやり場のない狼狽と苦悩は、想像もできない。
巷間に頻発する殺傷事件や捕縛事件――。風の噂を伝聞される度に「倒幕浪士なら、さもありなん」と脚色し、「新選組なら、さもあらまほしき」と美談化する。
そんな困惑した世相に晒される民衆の日常は、推し量れない。逃げ場を失った民衆は、諸手を挙げて流言飛語やスキャンダルに食いつくほかない。付和雷同の集団催眠にほだされて、我が身の置き場を冷静に顧みる暇などはない。
永倉新八は晩年、「土方歳三、井上源三郎、藤堂平助、山南敬助などが竹刀を持っては(総司に)子供扱いされた。恐らく本気で立ち合ったら師匠の近藤もやられるだろうと皆が言っていた」と語っている(『永倉新八遺談』)。
沖田は漫画や映画など数々の作品でドラマ化され、作品によっては、1867(慶応3)年11月15日(12月10日)の近江屋で起きた坂本龍馬の暗殺の直前まで活躍するシーンもある(渡辺多恵子の漫画『風光る』、NHK大河ドラマ『新選組!』、同じく『龍馬伝』など)。
沖田総司の生と死は史実なのか! 活劇伝説なのか? 消えたのは闘魂か? 残されたのは美談なのか?
(文=佐藤博)
*参考文献:司馬遼太郎『新選組血風録』『燃えよ剣』、子母澤寛『新選組始末記』、木村幸比古『新選組と沖田総司 「誠」とは剣を極めることなり』、『剣の達人111人データファイル』、釣洋一『新選組写真全集』(新人物往来社)、調布市史編纂委員会編『調布の近世史料』、『新選組日誌 上巻「沖田家文書」』、西村兼文『新撰組始末記』、「近藤勇書簡」、「島田魁日記」、永倉新八『新選組顛末記』など
佐藤博(さとう・ひろし)
大阪生まれ・育ちのジャーナリスト、プランナー、コピーライター、ルポライター、コラムニスト、翻訳者。同志社大学法学部法律学科卒業後、広告エージェンシー、広告企画プロダクションに勤務。1983年にダジュール・コーポレーションを設立。マーケティング・広告・出版・編集・広報に軸足をおき、起業家、経営者、各界の著名人、市井の市民をインタビューしながら、全国で取材活動中。医療従事者、セラピストなどの取材、エビデンスに基づいたデータ・学術論文の調査・研究・翻訳にも積極的に携わっている。