画像は岡田有希子の2nd アルバム「FAIRY」
人間到る処青山あり。明けない夜がないように、死に場所に国境も縄張りもない。この少女の儚い命も、自分が選んだ死に場所を探し当てた訳ではない。人類が綿々と写し撮ってきた「死というフィルム・ノワール(暗いシネマ)」のほんのワンシーンにすぎない。白昼の惨劇のフィルム・ノワールは、カタカタカタカタと乾いた音を立てながら回り始める――。
事務所ビルの屋上から投身自殺
1986(昭和61)年4月8日、快晴。気温13.9度。午前10時すぎ。マンションの住民が近隣から漏れるガス臭に気づく。管理人が110番、東京ガスに通報。四谷警察署の警官とレスキュー隊が駆けつける。ガス自殺を図ろうとしたのか? 左手首をリストカットした少女が押入れの下段にうずくまる。泣いている。
少女を収容、近隣の北青山病院へ搬送。治療後、軽症だったため病院を後にする。正午頃、少女は福田時雄・元サンミュージック専務と共に、事務所が6階に入居する東京都新宿区四谷の雑居ビルに入る。
12時15分頃、少女は「トイレ」と言うなり、急いで席を立つ。福田元専務と付き人は、一瞬目を離す。少女はビルの屋上にスリッパ履きのまま駆け上がる。20数段。重いドア。一歩、二歩、三歩、小走りになる。息は上がらない。フェンスは低い。44kg、155cmの肉体が4月の晴れた空に向かって飛ぶ。時間は消える。何も見えない。重い加速度。1,98秒。ネガ反転。フェイド・アウト……。
都心の白昼、投身自殺現場のわずか数メートル先を歩いていた男性がいる。「黒い物体(モノ)」が落下し、「ドスン」とも「バギッ」ともつかない不快な鈍い音。何があったのか? だが、「黒い物体(モノ)」が人間と分かるまで1秒とかからない。頭と思しきもモノが押し潰れている。呆然と立ちすくむ目撃者。激突後10数分間、遠巻きの野次馬の目に晒されたまま舗道にうずくまる「黒い物体(モノ)」……。
110番通報で駆けつけた警官と鑑識が現場を取り囲む。数人の警官が慌てて保護シートで遺体を覆う。小さな右足か左足だけがわずかに縮んで見える。鑑識は、舗道や道路脇に飛散した、肉片、脳漿、血痕を探し、集めてあたふたと動き回る……。
アイドルスター岡田有希子、18歳の最後のフィルム・ノワール。カタカタカタカタと振り切れる。そして翌朝まで、投身者が岡田だった事実は伏せられている。
自殺の真因は謎の謎?
8日夜、真成院(四谷霊廟)で親族が仮通夜。翌9日、太宗寺で通夜。10日、宝仙寺で社葬・告別式。最優秀新人賞を争った吉川晃司、共演したロックバンド・SALLYの杉山洋介、岡田がファンだった舘ひろしのほか、多くのファンがしめやかに参列した。
その後、代々幡斎場で荼毘に付される。墓所は成満寺(愛知県愛西市)。法名は侑樂院釋尼佳朋(ゆうぎょういんしゃくにかほう)。翌年7月、「サンミュージック代表、相澤秀禎」名義の慰霊碑を墓の隣に建立。岡田直筆の詩(プライベートタイム)、芸歴・受賞歴、相澤の哀悼の意が刻まれる。
岡田の死因は、投身自殺による強度の全身打撲死。では、岡田を「自死させた誘因」は何か?
死後、自室から鉛筆書きの便箋が見つかる。「峰岸さんにふられた」「もう一度お会いしたかった……勝手なことをしてごめんなさい」と書きなぐった遺書がサンミュージックの金庫に保管されているとする報道がある(「中日新聞」1986年4月9日、18頁)が、真偽の確認はできない。
一方、昨年、自殺の直前までそばにいたサンミュージックの福田元専務は、「死の真相、2つの理由」を明かしている (出典:「J-CASTニュース」2016年12月3日)。福田元専務は、岡田のガス自殺未遂は関係を噂された男性への一途な思いが遂げられない葛藤に悩んだ末の行動、2時間後の投身自殺は自殺未遂によって周辺に迷惑をかけた過ちへの自責の念ではないかと語っている。