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【シリーズ「病名だけが知っている脳科学の謎と不思議」第21回 】

不整脈で脳への血流が途絶える!「アダムス・ストークス症候群」を救う人工ペースメーカー

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アダムス・ストークス症候群は「人工ペースメーカー」が命を救って来た(depositphotos.com)

 不整脈により心臓から脳への血流が少なくなり、脳が虚血になった状態とその症状を「アダムス・ストークス症候群」と呼ぶ。

 19世紀にアイルランドの医学の発展に献身した2人の内科医、1791年生まれのロバート・アダムスと、1804年生まれのウイリアム・ストークス。2人の名に由来するこの病気はどんなものなのか?

 ロバート・アダムスは1827年に論文『不整脈による意識消失発作』を、ウイリアム・ストークスは1846年に論文『心臓の拍動異常による意識障害』を、それぞれ報告したことから、2人の名前にちなんで「アダムス・ストークス症候群」というの病名が受け継がれて来た(『症候群事典』金原出版1977年)。

アイルランドの2人の医師の足跡

 アダムスは、ダブリン大学卒業後、著名な外科医アブラハム・コールズ教授のもとで外科学を学び、欧州各国の病院で研鑽を重ねる。35歳の時、リッチモンド医学校を創設し、後進の指導に情熱を注ぐ。

 そして翌1827年、『Dublin Medical Reports』に脈拍が毎分20程度で20回以上もの意識喪失発作を起こした稀症例を初めて発表し、注目される。

 一方、ストークスは、エジンバラ大学の内科教授だった父の薫陶を受け、髄膜炎などに見られる失調性呼吸の研究に没頭する。聴診器を初めてアイルランドに導入した解剖学者ロバート・グレイブス教授に師事し、医師になる前の弱冠17歳で226ぺージもの『内科聴診法』を上梓する早熟ぶりを示す。

 21歳の時、エジンバラ大学で学位をとり、孤軍奮闘して内科聴診の普及に貢献。36歳の若さで大著『内科聴診の臨床技術体系』を著し、肺炎の病期分類も特定する。

 アダムスが論文『不整脈による意識消失発作』を発表した19年後、ストークスは症状を詳しく分析し、心臓の拍動異常による意識障害の原因と機序を包括的に探究、エビデンスを蓄積した。

 アダムスもストークスも、臨床観察を重視し、強烈な個性と才能をいかんなく発揮しながら、次代を担う臨床家を数多く育てた。アダムスが19世紀のアイルランド医学を代表する学術肌の内科医なら、ストークスは臨床病理学や解剖学にも長けた研究ひと筋の内科医だった。

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