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【シリーズ「傑物たちの生と死の真実」第10回】

発明家エジソンの晩年は、糖尿病、高血圧、腎炎とも闘った「闘病王」!

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発明家エジソンは「闘病王」(shutterstock.com)

 1847年2月11日、トーマス・アルバ・エジソンは、米国北東部オハイオ州ミランで、オランダ系の父サミュエル・オグデンJr.とスコットランド系の母ナンシー・エリオットの第7子として生誕。「アル!」の名で家族に熱愛される。エジソンが7歳の時、家族はミシガン州ポートヒューロンに転居した。

 エジソンは、幼少期に罹った猩紅熱(しょうこうねつ)の後遺症から中耳炎を発症、聴覚障害を起こした。

 猩紅熱は、主に感染者の咳に含まれるA群β溶血性連鎖球菌(溶連菌)の飛沫感染によって発症する。2〜10歳の小児に多い。急激な発熱とともに、喉や舌が真っ赤に腫れたり、頭痛、咽頭痛、四肢痛、悪寒を伴ったり、全身に小さな紅い発疹ができたりする。中耳炎、腎炎、リウマチ熱などの合併症を発症することもある。現在は、ペニシリンなどの化学療法で完治は早い。だが、19世紀中頃、エジソンの幼少期なら、死亡する恐れもあった。エジソンは、猩紅熱の後遺症から起きた聴覚障害に悩んでいたかもしれない。

 また、一説では、聴覚障害の原因は、ミシガン州で列車の車内販売をしていた12歳の頃、有蓋車の中に設けた化学実験室で火災を起こし、乗務員に殴られたためとか、両耳を引っ張られたためとも言われている。

 「懸命に働いている者は、決して歳をとらない。自分の葬式の日を人生引退の日としよう。私は耳がよく聞こえないが、それ不利になったことはない。むしろ、雑音が聞こえなくて、集中力が増してよかった」

小学校を3ヶ月で中退したのはコミュニケーション障害? ADHD?

 1853年、小学校に入学。好奇心が旺盛で多感のエジソンは、授業中に「なぜ?」を連発。教師に「クレイジー!」と罵倒され、わずか3ヶ月で学校を追われる。

 克明な情報はないが、学校の教育になじまなかったことから、エジソンは、他人と十分にコミュニケーションできないコミュニケーション障害、あるいは、集中力が続かず、落ち着きがない注意欠陥・多動性障害(ADHD)だった可能性は考えられる。

 だが、母はエジソンが好きなだけ科学実験ができるように、自宅の地下室に実験室を作ってくれた。「いつかは飛行機にママを乗せて空を飛びたい!」。エジソンは、そんな空想に耽っていたのだろうか。

 「何があっても支えてくれた母がいたから、今の私がある。母だけはあるがままの私を理解してくれた。どんなに苦しいときでも、母を喜ばせたくて努力を続けることができた。すべて母のおかげだ」

聴覚障害を乗り越え、糖尿病、高血圧、腎炎と闘った努力の人!

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