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【DNA鑑定秘話 第15回】

死刑執行ついに停止・釈放! 強盗殺人・放火の「袴田事件」は無罪を勝ち取れるか?

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現在、袴田事件は東京高裁で即時抗告審が継続中(写真は袴田弁護団公式ホームページより

 1966年6月30日、静岡県清水市(当時)内の有限会社王こがね味噌橋本藤作商店の専務宅から出火し、焼跡から専務(41歳)、妻(38歳)、次女(17歳)、長男(14歳)の4人の炭化した他殺焼死体が発見される。別棟に寝ていた長女(19歳)は難を逃れた。

 7月4日、静岡県清水警察署は、工場と従業員寮を捜索。従業員で元プロボクサーの袴田巖(はかまだ・いわお)さん(当時30歳)の部屋から極微量の血痕が付着したパジャマを押収後、袴田さんを強盗殺人、放火、窃盗容疑で逮捕した。連日連夜に及ぶ長時間の取調べに対し、袴田さんは犯行を頑強に否認するが、9月6日、一転自白。静岡地検は、強盗殺人罪、放火罪、窃盗罪で起訴。11月15日、静岡地裁の第1回公判で袴田さんは起訴事実を全面否認し、一貫して無実を主張し続けた。

 1967年8月31日、清水警察署は、工場の味噌タンク内から血染めの衣類5点を発見する。1968年9月、静岡地裁は死刑求刑。1976年5月、東京高裁は控訴棄却。1980年11月、最高裁は上告棄却。同年12月、最高裁は判決訂正申立を棄却し、死刑が確定した。

 しかし、1981年4月、弁護側は第一次再審請求。1994年8月、静岡地裁は再審請求を棄却、弁護側は即時抗告。2000年7月、日本弁護士連合会弁護団は、衣類5点に付着した血液のDNA鑑定を申請するが、鑑定不能とされた。

 2004年8月、東京高裁は即時抗告を棄却。同年9月、弁護側が最高裁に特別抗告。2008年3月、最高裁は特別抗告を棄却、第一次再審請求が終了。同年4月、弁護側は静岡地裁に第二次再審請求を起こした。

衣類5点の血痕と被害者の血痕のDNA型は不一致

 2010年4月、衆参両院議員は袴田巌死刑囚救援議員連盟を設立し、袴田死刑囚は心神喪失状態にあるとして、千葉景子法務大臣(当時)に刑の執行停止を要請した。

 2011年1月、日本弁護士連合会は、妄想性障がいなどを理由に、刑の執行停止と医療機関での受診を法務省に要請。同年2月、法務省は、精神鑑定を実施するが、執行停止の必要性は認められないと拒否。同年8月、静岡地裁は、第二次再審請求審で事件当日に袴田さんが身に着けていたとされる衣類5点の再鑑定を決定。同年12月、弁護側の鑑定人は、衣類5点の血痕と被害者の血痕の「DNA型は不一致」と発表。2013年、静岡地裁の勧告を受けて、検察側は600点に及ぶ証拠書類をようやく開示した。

再審開始、死刑及び拘置の執行停止、ついに釈放!

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