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【シリーズ「あの人はなぜ死に急いだのか?スターたちの死の真相!」第12回】

堀江しのぶ「スキルス性胃がん」卵巣転移のため23歳で夭折した巨乳アイドルのさきがけ

呟いた最期の言葉は「社長、私、仕事がしたい」!

 堀江しのぶ(本名、同じ)。1965(昭和40)年8月18日 、愛知県清須市生まれ。血液型A型。身長162 cm、体重48 kg、BMI18.3。スリーサイズ89-59-90 cm、カップサイズE。幼少時、麻丘めぐみに憧れ、キュートなお転婆少女は、ラッキー・チャンスを瞬く間に引き寄せる。

 18歳。名古屋経済大学高蔵高等学校在学中、クラリオンガールコンテストで平凡パンチ・アイドル賞を受賞。イエローキャブに所属し、「ビキニ・バケーション/BOY」で歌手デビュー。デビュー後、「歌」か「モデル」か「女優」かの岐路が迫る。21歳、「最近の娘」「さよならのめまい」「風のマドリガル」「瞳で片想い」もヒット。

 22歳、TBS系ドラマ『すてきな三角関係 壁際族に花束を』で麻丘めぐみと宿願の共演を果たす。NHKドラマ『真田太平記』にも出演。『毎度おさわがせします』(TBS)で共演した板東英二や『ザ・テレビ演芸』(テレビ朝日)で共演した横山やすしに娘のように可愛がられる。

 円らな瞳、妖艶な唇、挑発的なセクシー・ボディ。男性の熱視線を浴びるや、一気に人気が過熱。ドラマやバラエティ番組でも艶かしいプロポーションやボイスを披露して大躍進。芸能界垂涎の巨乳ブーム、セクシー・アイコンの火付け役にもなる。

 映画出演は多くない。『ザ・サムライ』(1986年、東映)、『愛しのハーフ・ムーン』(1987年、日活)、『クレイジーボーイズ』(1988年、松竹) の3本。

 しかし、堀江はグラビア撮影に精力的にこなす。豊満可憐なセクシーショットは多い。19歳の初撮り『もっと大胆に、もっとショキングに』から、『SO SEXY』『20歳のわたしをあげる』『しのぶあい』『堀江しのぶ―マドンナメイト写真集』まで9作品にグラマラスなボディを惜しげもなく見せてくれる。
 
 胸が大きい女は売れない。そんな芸能界のジンクスを打ち破り、堀江のグラマラスな魅力をキャッチフレーズに打ち出しつつ、堀江をグラビア・モデルから女優に育て上げた人物がいる。元イエローキャブの野田義治元社長だ。

 野田元社長の証言がある。堀江との出会いは、1983年7月。クラリオンガールの最終選考の20人に残った17歳の堀江に目が留まる(週刊ポスト「堀江しのぶとの破天荒な二人三脚」2016年12月9日号)。

 「過去に夏木マリさんや朝丘雪路さんのマネージャーをしたこともあって、そんな女優さんたちと共通するオーラを感じた。胸が大きいなんてまったく気づかなかった」。水着になるのを躊躇する堀江に水を向ける。「お前は海に行く時に何を着る? 水着だろ。どんな水着だ? セパレーツか。じゃあ、海に行ってビキニでやろう」

 病床を見舞った野田元社長に堀江が呟いた最期の言葉がある。

 「社長、私、仕事がしたい」

 昇天して29年。今も熟女52歳はセクシー・オーラを香水のように振り撒いているだろうか。
(文=佐藤博)

*参考:国立がん研究センター/『病気がみえる vol.1:消化器 』(P116~127)/『内科診断学 第2版』(P850~854)/『消化器疾患ビジュアルブック』(P72~77)/『新 病態生理できった内科学 8 消化器疾患』(P76~79)/『新撰 芸能人物事典 明治~平成』(日外アソシエーツ)/別冊宝島2611『80年代アイドルcollection』ほか。

佐藤博(さとう・ひろし)
大阪生まれ・育ちのジャーナリスト、プランナー、コピーライター、ルポライター、コラムニスト、翻訳者。同志社大学法学部法律学科卒業後、広告エージェンシー、広告企画プロダクションに勤務。1983年にダジュール・コーポレーションを設立。マーケティング・広告・出版・編集・広報に軸足をおき、起業家、経営者、各界の著名人、市井の市民をインタビューしながら、全国で取材活動中。医療従事者、セラピストなどの取材、エビデンスに基づいたデータ・学術論文の調査・研究・翻訳にも積極的に携わっている。

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