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【DNA鑑定秘話 第19回】

強盗傷人事件の「財田川事件」は大学院生の信用性の低い血液鑑定で冤罪に

 財田川事件が問いかける冤罪事件の真相を指摘しよう。

 起訴当時、谷口さんの犯行をほのめかす証拠は、強要された自白調書と谷口さんがはいていた国防色ズボンに付いていた血痕の血液鑑定書だけだった。起訴直後、この国防色ズボンを鑑定した岡山大学医学部の遠藤中節教授は、微量の小斑点に人血反応が認められたが、あまりに少量のために血液型鑑定はできなかったと証言した。

 1951年1月、検察官は、第1審第5回公判で東京大学の古畑種基教授の第1鑑定書と第2鑑定書を提出した。鑑定書は、国防色ズボンに付着した4個の微量血痕の血液型はO型と分析。谷口さんの血液型に一致しなかったが、最高裁は古畑教授の鑑定書だけを妄信し、死刑判決を宣告した。

 1979年から始まった再審請求審で弁護団は、第1鑑定書の血痕らしいシミを寄せ集める検査精度と経験の乏しい大学院生が行った検査手技の信用性への疑問を強く提起した。さらに弁護団は、第2鑑定書が検査した血痕が第1鑑定以後に付着した疑いがあるため信用できない、国防色ズボンの血痕は犯罪時に付着したとは限らないと主張。血液鑑定の不精確性、鑑定精度の信用性を厳しく問い質した。

 このように、谷口さんを有罪とした物的証拠は、谷口さんの着ていた国防色ズボンとズボンに付着していた被害者のO型の血液型を判定した2通の古畑鑑定だけだ。

死刑確定から再審無罪判決までの失われた32年

 血液鑑定への信用性や疑念だけでなく、以下のような数多くの矛盾点や不明点がある。

 谷口さんは、このズボンを履いていなかったと主張。凶器、奪われた現金、指紋は未発見。現場に残された血の付いた足跡は谷口さんの黒革短靴と不一致。被害者の胸、腹、腰などに30数カ所の刺切傷があったが、被害者が身に付けていた胴巻きには血液が付着しておらず、谷口さんの自白と矛盾していた。

 これらの数々の矛盾点は、第2次再審請求特別抗告審で最高裁第1小法廷が、「確定判決には3疑点5留意点がある」と指摘、高松地裁に差し戻し、再審の審理が進んだ。

 3疑点とは、①被害者の胴巻きに血痕が付着していないのは不自然。②谷口さんの自白に合致する血痕足跡が発見できない。③谷口さんが護送車の中から警備員の目を盗んで8000円を捨てたという自白は疑わしいの3点だった。

 5留意点とは、①谷口さんが犯行時に履いていた黒革短靴は、警察が保管したが、行方不明になり、裁判に提出されなかった。②被害者宅の軒下に氏名を書いたリュックサックが遺留されていた。警察は所有者を調べたが調書が存在せず、調べた内容も不明。③検証調書には、被害者宅の母屋西側にズック靴の足跡が残っていたと記載されているが、未解明。④国防色ズボンは、谷口さんと犯行と結びつける唯一重要な証拠だが、その押収手続が不明。⑤真犯人でなければ知り得ない「二度突きの自白」は、遺体解剖後に警察は知っており、捜査官が知らなかったのは疑わしいの5点だった。

 以上のような矛盾点や不明点は、再審でも明瞭に解明されなかった。だが、違法に強要された自白調書も、国防色ズボンに付いていた血痕の血液型も、谷口さんの無罪を裏づける有力な証拠であることに変わりはない。

 別件逮捕に次ぐ別件逮捕、長期にわたる精神的・肉体的な苦痛、虚偽の自白の強要、低精度の血液鑑定。逮捕から再審開始まで31年、死刑確定から無罪判決まで32年。死刑と向き合わされた谷口さんの恐怖と苦悩は誰も償えない。警察、検察庁、裁判所の違法性を指弾しつつ、冤罪事件の再発の防止策を探るほかに道はない。


佐藤博(さとう・ひろし)
大阪生まれ・育ちのジャーナリスト、プランナー、コピーライター、ルポライター、コラムニスト、翻訳者。同志社大学法学部法律学科卒業後、広告エージェンシー、広告企画プロダクションに勤務。1983年にダジュール・コーポレーションを設立。マーケティング・広告・出版・編集・広報に軸足をおき、起業家、経営者、各界の著名人、市井の市民をインタビューしながら、全国で取材活動中。医療従事者、セラピストなどの取材、エビデンスに基づいたデータ・学術論文の調査・研究・翻訳にも積極的に携わっている。

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