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【シリーズ「傑物たちの生と死の真実」第9回】

当初は西洋医学を否定! スティーブ・ジョブズが膵臓がんに立ち向かった8年の闘病

 予告もなしに突然、価値観や方針を180度変える。信念のない意見やアイデアは無視する。人のアイデアを鼻であしらい、1週間後に「素晴らしいアイデアを思いついた!」と平然と言い放つ――。

 ジョブズは、現実歪曲空間と呼ばれる。アップル復帰後、社員は次々とリストラされ、「スティーブされる(クビになる)」がスラングになる。神がかりな創造力や闘争本能丸出しの独裁者ぶりは、シリコンバレーで恐れられ、完璧主義による強引な経営は批判も受けている。日本のPCメーカーを「海岸を埋めつくす死んだ魚」と辛辣にこき下ろした時もある。

 だが、ジョブズは「Think Different!(発想を変えよ!)」を終生、貫く。ハードとソフト(OS)を融合した垂直統合モデルの追求、グローバルな付加価値の創造、価格競争へのチャレンジ、ブランド志向の強いユーザの信頼づくりにこだわる。部下に高い目標を示し、超人的なリーダーシップを見せる。ライバル企業の経営者らをも魅了する人間性臭さが身上だった。

 若い頃から禅に傾倒。日本の文化に造詣が深く、家族と京都などをたびたび訪れた。ソニーの盛田昭夫の訃報に接した時は、追悼の意を表しつつ、トランジスタラジオ、トリニトロン、ウォークマンの開発に多大な影響を受けたと発言。ボブ・ディランやジョン・レノンの大ファンでもあった。

 「もし今日死ぬなら、今日やろうとしていることを本当にやるか?」と問いかけたジョブズ。答えがNoなら「Think Different!(発想を変えよ!)」。ジョブズは、毎日が最後の日であるかのように生きながら、世界の見方を変え、人びとの意識を変え、生活のあり方を変えた。

 名声と挫折。成功と闘病。イノベーションと死。スティーブ・ジョブズの人生に移ろう光と影が見える。


佐藤博(さとう・ひろし)
大阪生まれ・育ちのジャーナリスト、プランナー、コピーライター、ルポライター、コラムニスト、翻訳者。同志社大学法学部法律学科卒業後、広告エージェンシー、広告企画プロダクションに勤務。1983年にダジュール・コーポレーションを設立。マーケティング・広告・出版・編集・広報に軸足をおき、起業家、経営者、各界の著名人、市井の市民をインタビューしながら、全国で取材活動中。医療従事者、セラピストなどの取材、エビデンスに基づいたデータ・学術論文の調査・研究・翻訳にも積極的に携わっている。

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