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【DNA鑑定秘話 第5回】

クリントン大統領が犯した世紀の不倫スキャンダルの決め手とは?

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決め手となったのは「大統領の精液がついた青いドレス」のDNA鑑定結果だった。Joseph Sohm / Shutterstock.com

 料理のうまい女の亭主は一生涯、浮気しない。男はやった後で言い訳を考えるか、やる前に言い訳を考えるかのどちらかだ――。

 こんな俗言が巷に大手を振って歩いている。日本は、浮気や不倫を男の甲斐性か専売特許のように許す風潮が強い。イギリスの哲学者フランシス・ベーコンは、「妻は夫が若いときは愛人に、夫が中年になったら友人に、夫が年をとったら看護婦になれ」と諭す。ベーコンの妻は、愛人にも友人にも看護婦にもなれた賢妻だったのか? ベーコンも浮気ひとつしない愛妻家だったのか? 答えは、誰の胸の内にもある。

世界中を狂乱の渦に巻き込んだ不倫スキャンダルの顛末

 1998年、第42代アメリカ合衆国大統領ビル・クリントンの浮気が発覚した。相手は、ホワイトハウス実習生モニカ・ルインスキー24歳。大統領の不倫スキャンダルはマスコミ報道に煽られ、世界は狂乱の渦に巻き込まれた。

 不倫スキャンダルの5年前の1993年、46歳のクリントンは、第二次世界大戦後に生まれたベビーブーマー初の大統領となる。1996年に再選。ババ(Bubba/兄弟)のニックネームで、国民的な支持と人気を一身に受けたものの、在位の2期8年は数々の疑惑やスキャンダルにまみれる。大統領の下半身問題は、政敵の格好の攻撃材料になった。

 1994年、クリントンはアーカンソー州知事だった時、部下だったポーラ・ジョーンズにセクハラ容疑で告訴された。クリントンは、ホワイトハウスの実習生ルインスキーと性的関係を持っていたが、公判中、ルインスキーとの性的関係を否定する。

 ところがクリントンは、ルインスキーに「私と関係があったことを裁判で言わないでくれ」と念押ししていた。困ったルインスキーは、同僚に電話をかけて相談を持ちかける。話を聞いた同僚は、裁判で偽証することを拒み、ルインスキーとの会話のテープを公にした。

 クリントンの偽証疑惑が浮上し、ケネス・スター特別検察官は捜査に着手。「ポルノまがい」と揶揄されるほどに、二人の関係をリアルに綴った「スター報告書」を書く。クリントンは、聖域である大統領執務室に隣接した書斎でオーラルセックスに耽り、大統領執務室に常備していた葉巻を持ち込み楽しんだ。数々の生々しい事実をマスコミが暴露され、大統領の権威は地に落ちる。世論の批判が燎原の火のように沸き上がり、大統領の品格と見識を問う一大政治スキャンダルに発展した。

 下院はクリントンを偽証容疑で訴追。クリントンは、第17代大統領アンドリュー・ジョンソン以来、2人目の大統領弾劾裁判の洗礼を受ける。上院では有罪評決に必要な3分の2に達せず、無罪が確定。大統領罷免は水に流れ、一件落着かと思われた......。

精液が別人である確率は、欧米人7兆8700万人に1人!

 しかし、その後、ルインスキーは、「大統領の精液がついた青いドレス」の存在を明らかにしたため、クリントンは血液採取とDNA鑑定を承諾。精液が別人のものである確率は、欧米人で7兆8700万人に1人という動かしがたい鑑定結果が出た。クリントンは深い屈辱感を味わった。

 クリントンは、法廷証言とテレビ演説で不適切な関係(inappropriate relationship)を認めざるをえなくなる。NOW(全米女性機構)などのフェミニスト団体は大統領を擁護し、ルインスキーを激しく攻撃。1998年1月、クリントン大統領とルインスキーの不適切な関係が世界のトップニュースを独占、流行語になる。世紀の不倫スキャンダルは、2000年の大統領選挙でアル・ゴアの敗北を招く一因となったといわれる。

 1999年、ルインスキーは、暴露本『モニカの真実(Monica's Story)』を出版。「彼は性的な親友と思っていた」と記しつつも、肉体関係は否定。スキャンダラスに騒ぎ立てるメディアを意味するモニカノミクス、「大統領はセックスのソウルメイト」と言い切る現代っ子ぶりを意味するモニカルチャーなどのモニカワードも生まれた。

 ルインスキーは、出版後、ダイエット商品のCMに出たり、オンラインショップを開設したり、起業家としても活躍。2006年、イギリスのロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの大学院にも進学し、セレブなブランドオーナーとしてグリニッジビレッジで暮らした。

 2014年5月、ルインスキーは、長年の沈黙を破ってバニティ・フェア誌に手記を投稿した。「深く後悔している。ボスが私を利用したのは確かだが、合意に基づく大人の関係だった。私は彼の影響力を守るためのスケープゴートにされた。でも、自分の過去や他人の未来の周りでコソコソするのはやめたい。自分の人生の語り手は自分だけなのだから」と告白した。

 2015年3月、ルインスキーは、トークライブTEDに登場。クリックすればするほど感覚が麻痺する、ネットいじめの被害者になった過去を振り返る。「ネット上では批判し合うより、共感し合うべきだ。会話しながら、ニュースを読み、クリックするべきだ」。侮辱が商品になり、恥が産業化するネットいじめに警鐘を鳴らした。

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