1953年、ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックがDNA二重らせん構造を発見したことで、バイオテクノロジーの幕が開いた shutterstock.com
生命科学の探求――。その道のりは長く険しかった。人類のたゆみない好奇心と情熱と勇気だけが、その基幹エンジンだった。
この連載では、世界各国の企業がしのぎを削る「遺伝子検査ビジネス」の実態について検証したい。第1回はイントロダクションとして、遺伝子解析の歴史を振り返る。
[an error occurred while processing this directive]1953年、ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックがDNA二重らせん構造を発見したことで、バイオテクノロジーの幕が開いた。1970年代になると、スタンリー・ノルマン・コーエンやハーバート・ボイヤーなどによる遺伝子組換え技術の確立、ジョルジュ・J・F・ケーラーによる細胞融合法によるモノクロナール抗体の開発やDNA塩基配列決定法の確立と、エポックが相次いだ。
1980年代に入り、FDA(米国食品医薬品局)による遺伝子組換えヒトインシュリンの認可とPCR(ポリメラーゼ連鎖反応法)の発明を皮切りに、1990年代には「ヒトゲノム(全遺伝情報)計画」がスタートダッシュをかける。NIH(米国国立衛生研究所)による世界初の遺伝子治療の成功、体細胞クローン「ドリー」の誕生、ウィスコンシン大学とジェロン社によるヒトES細胞の作製などが導火線となり、分子生物学のイノベーションが一気に加速した。そして21世紀に入り、セレラ社がヒトゲノム塩基配列のドラフト解読を手がけてからは、ヒトゲノム配列のドラフトの公開、2003年のヒトゲノム配列解読の完了と、生命科学の熱いドラマは続く。
人類がたぐり寄せた「生命の設計図」は、国際ヒトゲノム・プロジェクト・チームの競争を煽り、ポストゲノム時代の夜明けを予感させた。
GeneChip(アフィメトリクス社)やcDNAマイクロアレイ(スタンフォード大学ブラウン研究室)などが手がけた、数万から数十万の遺伝子発現(タンパク質の合成など)を一度に解析するDNAチップの開発に続き、HiSeq2000(イルミナ社)やGS-FLX(ロシュ社)などによる、膨大な数のDNAを増幅・合成しながらシーケンシングできる次世代シークエンサー(NGS)が次々と登場。遺伝子機能の解明競争や特許争奪戦へとバイオテクノロジーは、目まぐるしい歴史を刻んできた。
DTC遺伝子検査はバイオテクノロジーの未来を占う!?
このようなゲノム解析技術のイノベーションやバイオ・インフォマティックス(生物情報科学)研究の順風に乗り、バイオ産業が活性化するとともに、個人の体質や病気に対応する個人化医療(テーラーメイド医療)は、もはや夢物語ではなくなりつつある。全地球的なグローバル・スケールで、個人遺伝情報の利活用への社会的な期待感やビジネスニーズがじわじわと高まってきたのだ。
このような情勢や機運にシンクロするかのように、ここ数年来、個人向け遺伝子検査や、消費者直接販売型の遺伝子検査などと銘打った、DTC遺伝子検査がにわかに脚光を浴び始めた。ヤフーやDeNAなどの大手IT企業の参入をマスコミがセンセーショナルに報道したり、ネット広告が大量に流出しているからだ。
次回は、DTC遺伝子検査を検証する前に、医療機関で行う遺伝子検査について整理してみよう。
佐藤博(さとうひろし)
大阪生まれ・育ちのジャーナリスト、プランナー、コピーライター、ルポライター、コラムニスト、翻訳者。同志社大学法学部法律学科卒業後、広告エージェンシー、広告企画プロダクションに勤務。1983年にダジュール・コーポレーションを設立。マーケティング・広告・出版・編集・広報に軸足をおき、起業家、経営者、各界の著名人、市井の市民をインタビューしながら、全国で取材活動中。医療従事者、セラピストなどの取材、エビデンスに基づいたデータ・学術論文の調査・研究・翻訳にも積極的に携わっている。
連載「遺伝子検査は本当に未来を幸福にするのか?」バックナンバー