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【インフルエンザのヒミツに迫る! 第1回】

古代ギリシャの医師ヒポクラテスも手を焼いた「悪い風邪」インフルエンザ

インフルエンザの語源となったフィレンツェの街並みshutterstock

 古代ローマ時代のエトルリア人が「フロレンティア」と呼んだ古都フィレンツェは、紀元前59年に執政官カエサルが、その礎を築いた。幾重にも連なるなだらかな丘陵地に抱かれた華の都を、突如として「悪い風邪」が急襲したのは、イタリアにルネサンス期にあたる14世紀のことである。

 雨が多く蒸し暑い炎夏、冷たく湿った厳冬。温暖湿潤気候と地中海性気候がせめぎ合う特異な気候条件や寒暖差−−。それらが災いしたのか、フィレンツェ市内を流れるアルノ河畔界隈は、死屍累々の惨状だったと伝えられている。

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 16世紀のイタリアの占星家たちは、「悪い風邪」は星座の邪悪な運勢がもたらした厄災であると占い、「インフルエンツァ(影響)」と名づけた。その後、この呼称は「influenza(インフルエンザ)」と英語化し、冬の大将軍が吹き荒れるやいなや瞬く間に伝染し、世界中を震え上がらせてきた。

 紀元前5世紀に活躍した古代ギリシアの医者、ヒポクラテスの時代も、咳と高熱が人びとを苦しめ続けていたようだ。医学の父、医聖、疫学の祖と称されるヒポクラテスは、エーゲ海を望むイオニア地方南端のコス島の生まれ。医学を修めるためにギリシア各地を遍歴し、その功績は『ヒポクラテス全集』に集約されている。

 ヒポクラテスは、医学を原始的な迷信や呪術から解放し、臨床と観察を重視する経験科学に発展させた。そして、病気の原因について4種類の体液が変調した時に発生する「四体液説」を唱え、病気そのものを「急性」「慢性」「風土病」「伝染病」に4分類。自然環境や政治環境が健康に及ぼす影響にも警鐘を鳴らし、『ヒポクラテスの誓い』では医師が備えるべき高い倫理性や客観性を熱心に語りかけている。

ヒポクラテスもインフルエンザに手を焼いた?

 紀元前412年、ヒポクラテスはインフルエンザと思われる疫病の大発生を克明に記録している。「人生は短く、術の道は長い。機会は逸し易く、試みは失敗することが多く、判断は難しい」という箴言も遺したが、その鋭い洞察力も深い叡智も、「悪い風邪」には太刀打ちできなかったのだろうか?

 日本の記録をひも解けば、平安時代の『増鏡』に「しはぶき(咳)やみはやりて人多く失せたまふ」とあり、江戸時代の古文書に「お駒風」や「谷風」がはやったとある。1890年にインフルエンザが世界的に猛威を奮ってからは、日本では「流行性感冒(流感)」と呼ぶようになった。

 1918年に巻き起こった「スペイン風邪」。その恐るべき余波は、全世界で罹患者6億人、死者2000~4000万人、日本で罹患者2300万人、死者38万人を軽々と呑み込んだ。当時の日本の新聞を見ると、流感熱に浮かされたような大見出しが躍っている。「流感の恐怖時代襲来す! 一刻も早く予防注射をせよ!」。
(文=編集部)

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