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【シリーズ「病名だけが知っている脳科学の謎と不思議」第8回】

伝説の強打者ルー・ゲーリッグも37歳で逝去! 発症後3〜5年で死に至る「筋萎縮性側索硬化症=ALS」

筋萎縮性側索硬化症(ALS)で早逝したルー・ゲーリッグ(写真はWikipediaより)

 6月15日、イチロー選手が、ピート・ローズの大リーグ通算最多安打記録4256本を塗り替える日米通算4257本(日本1278本/米国2979本)の世界記録を達成した。

 奇しくも93年前(1923年)のこの日は、「鉄の馬」と呼ばれた名プレーヤーでありながら筋萎縮性側索硬化症(ALS)で早逝したルー・ゲーリッグが、19歳でニューヨーク・ヤンキースからメジャーデビューした日でもある――。

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 ルー・ヘンリー・ルイス・ゲーリッグは、1903年6月19日、ニューヨーク市に生まれた。17歳の高校2年の時、9回に場外満塁本塁打を放って試合を決める活躍で注目を浴び、コロンビア大学に入学し夏季プロリーグでプレー。アメリカンフットボールでも大活躍し、地元新聞の紙面を賑わせる。

 だが、母が肺炎に罹り、治療費をひねり出すためにヤンキースと契約を結ぶ。主砲ベーブ・ルースの肝煎りでメキメキと頭角を現し、22歳でレギュラーに。打率.313、47二塁打、20三塁打、16本塁打、112打点と気を吐いた。

 24歳の1927年は記録づくめの1年だった。打率.373、218安打、47本塁打、175打点。ルースとゲーリッグの強力打線はマーダラーズ・ロウ(殺人打線)と恐れられ、ピッツバーグ・パイレーツとのワールドシリーズも制覇。アメリカン・リーグの年間MVPにも選出された。

 ゲーリッグの卓抜した運動能力は、大リーグ球史に残る数々の金字塔が実証している――。本塁打王3回、打点王5回、生涯打率.340、生涯出塁率.447、ア・リーグMVP受賞2回、オールスター出場7回、1934年の三冠王、史上最年少の殿堂入り、MLB史上初の背番号「4」の永久欠番。1925年から1939年の14年間は、当時の世界記録となる2130試合連続出場も達成した。

 プレーを諦めないタフネスから「鉄の馬(Iron Horse)」「静かなる英雄」などと大衆に愛される。30歳、シカゴ・パークスの支配人フランク・ツイッチェルの娘エレノアと結婚した。

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