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【シリーズ「DNA鑑定秘話」第27回】

北朝鮮の拉致被害者・横田めぐみさんのものとされる遺骨は偽物?

遺骨は偽物(写真は拉致問題対策本部のHPより)

 1970〜80年代、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の工作員や土台人(工作活動の土台として利用される在日朝鮮人)は、多数の日本人を北朝鮮に拉致した。

 2014年2月17日、国連の調査委員会は、北朝鮮による拉致や公開処刑は「人道に対する罪」に当たると非難する報告書を公表。北朝鮮による外国人拉致の被害者は、世界で20万人以上、日本人はおよそ100人と指摘する。

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 2014年5月、日本と北朝鮮は、拉致被害者の再調査を合意しているが、未だ解明のメドは立っていない。

横田めぐみさんは生きているか?

 冬の日本海は時化(しけ)る。だが、その日は、たなびく雲間から差す陽光が凪いだ海面にきらめくほどの少し暖かな朝だった。

 母は、娘にレインコートを手渡そうと急ぐ。「晴れそうだから、今日はいいわ。置いていく。行ってきます!」。娘は、いつものように元気に家を飛び出す。母が見た娘の最後の笑顔だった。その朝から38年の歳月が流れ去った。

 1977(昭和52)年11月15日、新潟市立寄居中学校1年生の横田めぐみさん(1964年10月5日生まれ、当時13歳)は、下校途中に自宅付近(中央区西大畑町、新潟大学付属新潟小学校前)で忽然と消える。新潟県警察は、誘拐事件として捜査するが、犯行の手がかりは得られず、迷宮入りとなる。

 2002(平成14)年、平壌で行われた日朝首脳会談で、北朝鮮は日本人の拉致を認める。金正日(キム・ジョンイル)総書記が謝罪し、再発の防止を約束。日本が認定した拉致件数は12件、拉致被害者は17人。北朝鮮は拉致被害者13人(男性6人、女性7人)を認定。

5人は日本に帰国、8人は死亡、4人は未入国、拉致問題は解決したと主張。日本政府は全員生存の立場をとり、北朝鮮に早急な解明を要請し続けてきた。

 北朝鮮の説明によれば、横田めぐみさんは1986年に結婚、1987年にキム・ウンギョンさんを出産。1994年4月、病院で自殺(原因不明)、1997年に火葬となっている。

 1997年、朝鮮労働党書記の1人が橋本龍太郎首相(当時)に対し、横田めぐみさんの生存を通達(1994年の自殺と矛盾)、横田めぐみさんを火葬したオボンサン火葬場は1999年の建設(火葬した1997年には存在しない)、1994年6月、帰国した地村富貴恵さんは「横田めぐみさんは隣に引っ越してきた」と証言(1994年の自殺と矛盾)した。

 2004(平成16)年11月、日朝実務者協議に行なわれ、横田めぐみさんの遺体は未確認だったが、その遺骨が日本に提出される。だが、DNA鑑定の結果、別人のDNAが検出されたと発表された。

 2006(平成18)年6月29日、横田めぐみさんの夫とされる金英男氏は、記者会見で「めぐみは1994年に自殺した」と発言。横田めぐみさんの両親、横田滋さん・早紀江さん夫妻は「予想通りの証言。こういうことを平気で言わせる北朝鮮にはらわたが煮えくり返るばかりだ」と非難。安倍晋三内閣官房長官は「発言内容は信憑性がない」と述べた。

 2009年2月、産経ニュースは「横田めぐみさんは、金賢姫(キム・ヒョンヒ)の同僚の工作員・金淑姫(キム・スクヒ)に日本語の指導を行っていた」と報道。聯合ニュースや時事通信社の報道では、2011年、韓国自由先進党の朴宣映(パク・ ソニョン)議員は、脱北者から得た北朝鮮高官の情報を明らかにし、「横田めぐみさんは生存しており、知ってはいけないことを知りすぎたため、日本に帰すことができず、他人の遺骨を日本側に渡した」と証言した。

 また、中国国防大学国際戦略研究部所の研究者・綾野氏は『中国が予測する“北朝鮮崩壊の日”』(文春新書、2008年)で、横田めぐみさんは、病死・事故死・自殺ではなく、処刑され、骨は他の処刑者と一緒に火葬されたため、偽物の骨が提出されたと書く。
 
 評論家の中丸薫氏は『いよいよ2012年 さあ、こんな世の中にしよう』(徳間書店、2009年)で、金正恩(キム・ジョンウン)総書記の母が早死にしたため、横田めぐみさんが彼を育てたという説を紹介した。

 このように横田めぐみさんの周辺には、不透明な未確認情報が錯綜することから、真偽はまったく確認できない。

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