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【シリーズ「血液型による性格診断を信じるバカ」第3回】

馬鹿な信仰 〝血液型性格論〟はこうして形成されてきた

血液型は500以上ある!?shutterstock.com

「血液型」というと日本ではABO式しか思い浮かべられない人が多い。そうなるのは、次に重要なRh式が日本人ではほとんど陽性で、差がないからである。日本人の99.5%はRh+だが、ごくまれに Rh−の人がいる。
 
 日本では「血液型」と呼んでいるが、国際的にはBlood Group(血液群)という。ABO式血液型の「式」に相当する英語はシステム(System)で、「分類方法」を意味している。血液型にはいろいろ分類方法があり、つまり日本でいうところの〝血液型〟である分類方法は実に約500種類もあるのだ。

血液型の0型はもともとゼロ型だった

 「Blood Group(血液群)」が最初に見つかったのは1900年のことだ。ウィーン大学医学部のランドシュタイナーが、健康な成人血液を赤血球と血清に分離し、生理食塩水に浮遊させた赤血球を、同様に分離した他人の血清と混ぜ合わす実験をやった。

 その結果、他人の血清と混ぜると赤血球が凝集する人がもっとも多く、これを「A群」と命名した。その次に多かった血球凝集群をB群と命名した。どの血清を加えても凝集反応が起こらないのを0(ゼロ)群と命名した。数の少ないAB群は翌年、より多くの被験者を調べて見つかった。これが「ABO式血液型(群)」の発見である。

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 ABOのO(オー)は、元0(ゼロ)だったが、後に血液型が米国に伝わり「O(オー)」と誤読され、国際会議で誤読の方が正式な名称になった。
  

日本で始めて血液型・性格相関説を唱えた心理学者古川竹二

 1900年は血液型発見の年であると同時に「メンデルの遺伝法則」が再発見された年でもある。間もなくABO式血液型が「メンデルの常染色体優性遺伝」をすることが明らかになった。つまり表現型が「A型」の遺伝子は、aaかaoであり、「O型」はoo、「AB型」はabの場合のみだと判明したのである。
 
 ABO式の血液型の知識は、ドイツに留学した東京帝大医学部の原来復(はらきまた)により、1914年、日本にもたらされた。この新知識を「血液型と気質は相関する」として巷に広めたのが、古川竹二という、東京女子高等師範学校(現お茶の水大学)の教授で、心理学者である。

 この頃、すでに心理学・精神医学では性格が4型に分かれるという、ドイツの精神病理学者クレッチマーの「気質4分類説」が広まっていた。古川は、ABO式血液型が4種に分かれるという事実を知り、1927年に気質と血液型(ABO式)の関連性を想定したのである1) 学問的には大した根拠のない説でも、単純でわかりやすければ、何かのきっかけで大ブレークすることがある。
 
 古川の「血液型と気質相関」説1)を血液型別に要約すれば次のようになる。
 ●A型:内気、遠慮深い、温厚、用心深い、物事を気にする、事に躊躇する、感動し易い、争いを好まない、自分を犠牲にする
 ●B型:気軽で淡白、快活でよくしゃべる、刺激に敏感、物事を気にしない、気軽に人と交わる、世話好き、よく気がつく、行動が派手
 ●O型:落ち着きがある(非暗示性に乏しい)、感情に駆られない、物に同じない、精神力が強い、意思が強い、自信家、人の意見に左右されない、物事に迷わない、利かぬ気
 ●AB型:(内面A型、外面B型):内と外とが違っていて、判断しにくい人

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