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【シリーズ「傑物たちの生と死の真実」第17回】

「先端巨大症」と戦い続けたアンドレ・ザ・ジャイアント

世界8番目の不思議!(WWE公式YouTubeより)

 京王プラザホテル本館41階の廊下。「グシャリ!」と音がして、天井からガラスの破片がパラパラと大男の肩に落ちてきた。天井のライトに頭をぶつけたらしい。「大丈夫か?」。レフリーのミスター高橋は目も口も丸くして大男を見上げた。

 「頭? 何ともないよ。それより早くシャワーを浴びて飲みに行こう」
 「ダメだよ、黙っているわけにはいかないよ!」

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 ミスター高橋はフロントで頭を下げた。

 「廊下の天井のライトを割っちゃったみたいです」
 「おケガは? 天井って2m40cmくらいはあるのですけど?」
 「ジャンプしたんじゃなくて、普通に歩いて割りました」

身長223cm、体重236kg、リングシューズ38cm!

 1970〜80年代の昭和プロレス黄金期、「金曜8時のゴールデンタイム」の名レフェリーとして活躍したミスター高橋は、来日する外国人選手の世話係や、対戦カードや試合の結果を決めるマッチメーカーもこなした。その高橋が著書『悪役レスラーのやさしい素顔』(双葉社)で明かしているのが、アンドレ・ザ・ジャイアントの巨漢エピソードだ。身長223cm、体重236kg、リングシューズ38cm! とにかくデカイ! 米国で "The 8th Wonder of the World"(世界8番目の不思議)、日本で「大巨人」のニックネームがついた。

 アンドレ・ザ・ジャイアント(アンドレ・レネ・ロシモフ)は、1946年5月19日、フランス・グルノーブルの生まれ。1964年、18歳の時に「マットの魔術師」エドワード・カーペンティアに”発見"され、パリでアンドレ“ザ・ブッチャー”ロシモフの名でデビュー。米国へ進出し、キラー・コワルスキーやドン・レオ・ジョナサンなどの超巨漢選手と対戦。1973年、アンドレ・ザ・ジャイアントと改名、世界サーキットに参戦した。

 ベビーフェイス(善玉)のスペシャル・ゲストでビッグイベントに出場。ヒール(悪玉)相手のバトルロイヤルやハンディキャップ・マッチに出没し、超人的なタフネスと“殺傷力“で相手を圧倒。アームロックなどのレスリングテクニックで観客を惹きつけ、世界で大乱戦。1974年、ギネスブックは「年俸世界一の40万ドル(1億2000万円)プロレスラー」と認定した。

 初来日は1970年1月。吉原功にスカウトされ、モンスター・ロシモフのリングネームで国際プロレスへ参戦。以来20余年、新日本プロレス、全日本プロレスと渡り歩き、アントニオ猪木、長州力、藤波辰巳、タイガーマスクらと激闘を重ねる。209cmのジャイアント馬場と「大巨人コンビ」を組み、タイガー・ジェット・シン、ハルク・ホーガン、スタン・ハンセンス、ブルーザー・ブロディ、ダイナマイト・キッドなどの強敵を迎え撃った。

 数知れないマッチの中でも、1981年9月23日、田園コロシアムで行われた「不沈艦」ハンセンとの名勝負、WWF世界ヘビー級王座を賭けたホーガンとの「世紀の対決」は、プロレス史上無類の名シーンとなる。

先端巨大症、糖尿病とも死闘したジャイアントの悲哀

 アンドレは、先端巨大症(アクロメガリー)だった。先端巨大症は、脳下垂体前葉の成長ホルモン分泌腺細胞が腫瘍化し、成長ホルモンが過剰に産生されるため、手足、内臓、顔が肥大化する。唇が厚くなる、額が突き出る、下顎がせり出す、舌や声帯が厚くなる、四肢が異常に発達する、四肢以外の筋肉が萎縮する、骨がもろくなる、頭痛や発汗過剰を起こすなどの症状を示す。

 さらに、脳梗塞、脳出血などの脳血管障害、狭心症、心筋梗塞、心不全、高血圧などの心血管障害のほか、糖尿病、大腸がんなど悪性腫瘍、睡眠時無呼吸症候群、内臓障害など、さまざまな合併症を伴うことが少なくない。

 先端巨大症は身長が異常に成長するのが特徴だが、210cmを越えると上肢・下肢を問わず体重の負荷がかかり、じわじわと全身に悪影響を及ぼす。アンドレは、1980年代中頃から、オーバーウエイトに苦しみ、両膝、腰、背中の激痛に襲われる。全盛期の動きのキレはほとんど消えていた。

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