手塚治虫は1989年2月9日、享年60で死去。(写真は手塚プロダクション公式サイトより)
1928(昭和3)年11月3日、手塚治虫は、父・手塚粲(ゆたか)と母・文子の長男として大阪府豊能郡豊中町(豊中市)に誕生。明治節(明治天皇の誕生日)に生まれたことにちなみ、「治」と名づけられる。適塾の蘭方医だった曽祖父・手塚良仙は、1858(安政5)年、神田お玉ヶ池種痘所(東京大学医学部の前身)の設立功労者のひとりだ。
手塚は、大阪大学附属医学専門部に在籍中だった1946年1月、『少国民新聞』に連載した4コマ漫画『マアチャンの日記帳』でデビュー。『新寶島』がベストセラーに。1950年、『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』などのヒット作を連発。1951年、大学を卒業。1953年、医師免許を取得する。
[an error occurred while processing this directive]1963年、日本初のTVアニメシリーズ『鉄腕アトム』を自主制作。1970年代には、『ブラック・ジャック』『三つ目がとおる』『ブッダ』などの長編大作を立て続けに発表。晩年は『陽だまりの樹』『アドルフに告ぐ』などの青年漫画の快作を精力的に描き上げ、「マンガの神様」「アニメーションの巨匠」という不動の名声を築いた。
還暦の年、スキルス性胃がんで急逝
手塚の持病は何か? 太平洋戦争で日本の敗色が濃厚になっていた1944年の夏、15歳の手塚は、軍事教練の教官に描いていた漫画を見つけられ、殴りつけられる。そして、体の弱い者が入る強制修練所に収容され、軍需工場で格納庫の屋根に使うスレート作りに駆り出される。
1945年3月、戦時中の修業年限短縮の特例で北野中学を4年で卒業。16歳の6月、勤労奉仕中に大阪大空襲に遭遇、焼夷弾が炸裂するが、九死に一生を得る。開示されている記録によれば、30歳代にノイローゼに陥り、精神鑑定も受けたことがあったが、特に持病のデータは見当たらない。
1988(昭和63)年3月、59歳の時、胃の不調を急に訴え、手術を受ける。5月に退院するや否や、胃の変調を忘れたかのように仕事に復帰、没頭する。11月、中国上海で開かれたアニメーションフェスティバルの終了後に昏倒。帰国し、半蔵門病院に入院。スキルス性胃がんと診断される。当時の医療の慣習で、本人にがん告知はされなかった。
「人の命なんて、心配してもしなくても、終わる時には無情に終わるもの。仮病は、この世でいちばん重い病気だよ」
100歳まで描き続けたいと話していた手塚は、医師や妻の制止も聞かず、「鉛筆をくれ!」と訴え、病院のベッドで漫画の連載を続ける。1989(平成元)年1月25日以降、昏睡と回復を繰り返す。
「頼むから仕事をさせてくれ」が最後の言葉
2月9日午前10時50分、スキルス性胃がんのため、半蔵門病院で死去。享年60。手塚プロダクション・松谷孝征社長によると「頼むから仕事をさせてくれ」が最後の言葉になった。
死因のスキルス性胃がんは、他の胃がんと同様に粘膜から発生するが、粘膜面の変化をほとんど起こさずに、粘膜層の下に木の根のように広く浸潤する悪性がんだ。上部消化管内視鏡検査で粘膜面に異常が見られなくても、数ヶ月後には胃の収縮が始まり、腹水がたまる。その結果、がんが発見された時点で、約60%の人が腹膜転移(腹膜播種/ふくまくはしゅ)や広い範囲のリンパ節転移が見られる。腹膜播種とは、腹部全体にがん細胞が散らばる状態をいう。手術した場合の5年生存率は約15%~20%といわれる。
このようにスキルス胃がんは、発生してから胃の収縮が始まるまでが速いため、発見されにくく進行が早い。しかも、転移しやすく、生存率が低いのが特徴だ。手塚の場合も、例外ではなかったかもしれない。
病床で書き続けた『グリンゴ』『ルードウィヒ・B』『ネオ・ファウスト』などの作品が未完の遺作となる。『ネオ・ファウスト』では主人公が胃がんに罹る。医者も家族も告知しないが、本人は胃がんであることを察知して死ぬ。手塚も気づいていたのだろうか?
「今ここで自分が描かなければ、誰が描くんだろう。後世に残る作品をなどと気張らず、百歳まで描きたい」
ベレー帽に分厚い黒縁眼鏡。「マンガは女房、アニメーションは手のかかる恋人。人間は何万年も、あした生きるために今日を生きてきた。時代は移り変わっても、子供たちの本質は変わらない」と笑った手塚治虫。漫画とアニメーションに、愛と風刺と告発のスピリットを吹き込んだ不世出の天才だった。
佐藤博(さとう・ひろし)
大阪生まれ・育ちのジャーナリスト、プランナー、コピーライター、ルポライター、コラムニスト、翻訳者。同志社大学法学部法律学科卒業後、広告エージェンシー、広告企画プロダクションに勤務。1983年にダジュール・コーポレーションを設立。マーケティング・広告・出版・編集・広報に軸足をおき、起業家、経営者、各界の著名人、市井の市民をインタビューしながら、全国で取材活動中。医療従事者、セラピストなどの取材、エビデンスに基づいたデータ・学術論文の調査・研究・翻訳にも積極的に携わっている。