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【シリーズ「DNA鑑定秘話」第63回】

モーツァルト急死の謎に迫る! サリエリによる毒殺説の真相は? 頭蓋骨のDNA鑑定の信憑性は?

35歳で早逝したモーツァルト急死の謎!(depositphotos.com)

 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart:1756年1月27日~1791年12月5日)――。

 『トルコ行進曲』『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』『レクイエム』『フィガロの結婚序曲』『魔笛』など、ピアノソナタの小曲から協奏曲、交響曲、オペラまで600曲もの名曲を書き残した、不世出の神童であり、世紀の天才作曲家だ。

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 その妖しくも華やかな伝承に彩られた35年の生涯と不遇の死の謎……。急死に至る約11ヶ月の足跡を追わなければ、辿り着けない真実がある。

死に至るまでの11ヶ月

 1791年1月、『ピアノ協奏曲第27番』K.595を作曲。3月、初演コンサートで最後の指揮に立つ。7月、妻コンスタンツェが第6子フランツ・クサーヴァーを出産。喜びに酔う間もなく、作曲、金策・借金の返済に追われる。9月、プラハで行われたレオポルト2世のボヘミア王戴冠式でオペラ『皇帝ティートの慈悲』K.621を初演するが不評。息つく暇なく興行主エマヌエル・シカネーダー一座のために作曲した最後のオペラ『魔笛』K.620を初演、やんやの喝采が降り注ぐ。

 やがて過労が重なり、発熱、体調を崩す。鎮静剤を服用するが、11月頃から悪化。高熱、発疹、発汗、腫れ、手足や背中の痛み、嘔吐、下痢に悩まされ、衰弱していく。11月20日、『レクイエム(死者のためのミサ曲)』K.626を作曲しつつ、病床に伏す。2週間後の12月5日0時55分、ウィーンで急死。享年35。

 なぜだかは不明だが、カトリック信者が受ける聖職者による聖体拝領の「塗油(とゆ)の儀」を、モーツァルトは拒んでいる。また、その急死によって『レクイエム』は未完となったが、弟子のフランツ・クサーヴァー・ジュースマイヤーが補筆し完成させる。

モーツァルトの死因論争

 モーツァルトの死因は何か? ウィーン市の公式記録によれば、全身の浮腫と高熱を示したため「急性粟粒疹熱」「リューマチ性炎症熱」と伝わる。

 しかし、1984年、診断記録などを精査したピーター・J・デイヴィーズ博士は、論文「モーツァルトの病気と死」を発表。モーツァルトは以前に罹った「連鎖状球菌伝染病」を再発し、シェーンライン・ヘノッホ症候群と腎不全を発症。瀉血(血液を抜く)が症状を悪化させたため、大脳の出血に至り、気管支炎性肺炎を併発して致死したとしている(参考文献:『モーツァルト最後の年』中央公論新社)。

 「連鎖状球菌伝染病」は、グラム陽性好気性細菌(レンサ球菌)によって、咽頭炎、肺炎、創傷・皮膚感染症、敗血症、心内膜炎などを引き起こす感染症。リウマチ熱と糸球体腎炎症を続発する。

 「シェーンライン・ヘノッホ症候群」は、アレルギー性紫斑病とも呼ばれる自己免疫性のアレルギー性血管炎。紫斑、関節症状(足関節、膝関節の疼痛、腫脹)、下血を伴う腹痛、腎症状(血尿、蛋白尿、ネフローゼ症候群)を起こす。

 ランドンによれば、幼少期から度重なる旅行生活の不摂生や、舗装が不完全な道路のために馬車の振動が健康を脅かし、当時の医療技術が未熟であったことも災いした結果、リューマチ熱に陥ったと推察している。

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