力石徹の壮絶な減量(画像は電子書籍版『あしたのジョー』より)
その試合の掲載号が発売された日(1970年2月15日)を以って命日とするか、はたまた漫画上の脇役の告別式が現実に営まれた前代未聞の日(同3月24日)を命日とすべきか――。
漫画『あしたのジョー』(高森朝雄:原作/ちばてつや:作画)の究極の脇役ヒーロー、力石徹(りきいし・とおる)が死んで早48年。ほぼ半世紀が過ぎるというのに、こうした命日論争に象徴されるごとく、愛読者たちの思慕はネット上でもいまだ尽きない。
[an error occurred while processing this directive]主人公・矢吹丈との死闘を前に、闘拳家・力石の過酷な減量シーンの数々は、物語をよりシビアに際立たせた。熱心なファンの間では、「何kg減量したのか?」「減量地獄の期間は?」など、いまだにネット上での論争は盛んだ。
時代を越えて読み継がれ、漫画史に燦然と輝く名作『あしたのジョー』。全巻を愛蔵し、何度も読み直しては「減量問題」を徹底検証して健筆をふるう力石ファンの投稿はどれも熱い。
今回はその複数の見解を参考に要約し、劇画史に残った減量劇を検証してみたい。
減量王者はガッツ石松か?
まずは、「基礎知識」として次の点を押さえておきたい。
①少年院に入る前から、力石徹はプロボクサー(ウェルター級:66.678kg以下)だった。
②退院後のプロ復帰戦では、2階級下のフェザー級(57.153kg以下)。
③その後、ジョーと闘うために力石はバンタム級(53.524kg以下)に。
④当時の各階級の上限体重(原作はポンド表記)から概算すれば、力石は2度の挑戦で約13kg(66kg−53kg)の減量を敢行したことになる。
その過酷減量の内容も、トレーニングを続ける中、ストーブを焚いたサウナに入り、「水」を断って、食べるのは1日リンゴ1個。逃避の誘惑を断つために鉄格子の部屋で就寝し、発狂寸前で鉄格子を壊して水を求めてさまようも、水栓は針金を巻いて断水状態……という有名なシーンは衝撃的だ。
この<水道栓を針金でグルグル巻き>との逸話は、実在の元世界フライ級&バンタム級チャンピオンであるファイティング原田(本名・原田政彦)氏のエピソードが出典と伝えられている。
ちなみに、現実の減量劇に関してファイティング原田氏は、最も苦しんだ際の後日談として「15kgくらいは落した」と述べており、力石の推定減量の上を行っている。
他にもWBA世界フライ級王座を5度防衛した故・大場政夫氏が、やはり「15kg減」。さらに元WBA世界ライト級チャンピオンのガッツ石松氏は「19kg落とした」との自己申告談を残している。
もっとも昨今のプロボクサーは、常日頃からストイックな生活を送るタイプが大半で、10kg超の減量自体が珍しいとされる。
例外が、2013年秋のV2戦に臨んだWBA世界ミニマム級王者・宮崎亮氏だ。身長155cmながら骨太マッチョ体形の宮崎氏は当時、リミットまで「約14kg減」に挑み、新聞紙上には「力石徹並み」「リアル力石徹」などの見出しが躍った。