ワクチン批判に妥当性ありや?(depositphotos.com)
近藤誠氏の「ワクチン副作用の恐怖」(文藝春秋、以下「恐怖」と略す)を読みました。
放射線医学が専門である近藤氏がワクチンを論ずるのはこれが初めてではありません。これまでも何度もワクチンの問題を取り扱っています。例えば、近藤氏は2001年に「インフルエンザワクチンを疑え」という論考を発表しています(「文藝春秋」2001年2月号)。私は当時ニューヨーク市で内科の研修医をしていましたが、この論考の科学的瑕疵を指摘したことがあります(岩田健太郎「正論」2001年5月)。
[an error occurred while processing this directive]BCGの予防接種の効果は非常に限定的
近藤氏が予防接種や感染症の専門家ではないから、この領域を論じてはいけないとは思いません。専門家であれ、非専門家であれ、思想の自由、表現の自由は十全にあります。専門家故に見落としてしまうような大事なポイントを、非専門家が岡目八目で指摘できることも少なくありません。
大切なのは「誰が書いているか」ではなく「何が書かれているか」です。内容の妥当性だけが重要なのです。
では近藤氏の「恐怖」。内容の妥当性はどのくらいあるか。その点を私は論じようと思います。
近藤氏の「恐怖」の主な主張の一つは「グラフを見ると、ワクチンの導入以前から対象感染症の死亡率は下がっている。だから、ワクチンに意味はない」というものです。近藤氏はワクチンの有効性そのものを否定しているわけではありません。しかし、ワクチンがなくても病気のリスクは下がっているわけだから、その「“必要性”は疑わしい」(4頁)というのです。
近藤氏の主張には首肯すべき点があります。例えば、彼が例示する結核のワクチン、BCGです。確かにBCGの効果は非常に限定的です。他方、結核については確立した治療法(抗結核薬)があり、早期診断法があり、予防法(潜伏結核の内服治療)もあります。
BCGがなくても結核対策は可能か。私の意見は、実は「イエス」です。近藤氏が指摘するように欧米諸国の多くではBCGは推奨予防接種のプログラムに入れられていません。私には2人の娘がいますが、実はふたりともBCGは接種していません。他の定期接種ワクチンは全て接種していますが。これは、私たち両親が娘達の健康のためにBCGの「必要性」を認めなかったからです。