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【シリーズ「DNA鑑定秘話」第35回】

日航ジャンボ機墜落事故での犠牲者の身元確認はどのように進められたのか?

事故を起こしたJAL123便ボーイング747型機(写真はWikipediaより)

 「東京!トラブル発生、直ちに、エー、羽田に帰ることを要求する。220(2万2000フィート)へ降下し、維持することを要求する。どうぞ」

 羽田発大阪行きJAL123便ボーイング747型機から、東京ACC(運輸省東京航空交通管制部)に緊急事態の発生を告げる無線が入ったのは、1985年8月12日午後6時25分21秒すぎ。警報音を感知したACC管制運用室の管制官は、レーダー画面に白く点滅するサインに気づく。「EMG JL123」。JAL123便が発信した緊急遭難信号(エマージェンシー・サイン)だ。6時28分35秒、「現在、操縦不能!」。絶体絶命のヘルプ・コールだった。

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 JAL123便は、6時12分20秒に離陸。13分後、異常事態に陥り、伊豆半島南東部の相模湾上空、高度2万4000フィート(約7200m)で、ほとんどの垂直尾翼を喪失。操縦不能に陥りながらも、約30分間、ダッチロール飛行を続ける。午後6時56分すぎ、群馬県多野郡上野村の御巣鷹山に墜落。524名(乗客509名、乗員15名)のうち、死亡者520名、重軽傷者4名。世界の航空機事故史上最悪の大惨事となる。

 運輸省航空事故調査委員会による『事故調査報告書』(1987年6月19日)によれば、1978年6月2日にJAL123便は伊丹空港で機体尾部の圧力隔壁を破損する尻もち着陸事故を起こす。その後、ボーイング社が行った手抜き検査と修理の不備の結果、発見できなかった圧力隔壁の亀裂疲労・劣化破損が直接の原因としている。航空関係者や遺族らの原因再調査の要請が強いものの、実現の見込みはまずない。

 『事故調査報告書』は、航空機の高度・速度などの詳細な飛行状況を記録するDFDR(デジタル飛行データ記録装置)について、「最後に記録されている機体の姿勢は、縦揺れ角頭下げ42.2度、横揺れ角131.5度、機種方位277.1度、対気速度263.7ノット(約475km)。機首を大きく下げ、ほとんど裏返しになったと考えられる。航跡方位は304度と推定される」としている。

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