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【シリーズ「病名だけが知っている脳科学の謎と不思議」第5回】

早逝のロシア名医がアル中患者に名付けた奇病~記憶障害と妄想に陥る「コルサコフ症候群」

コルサコフ症候群は慢性アルコール中毒患者に多い(shutterstock.com)

 コルサコフ症候群(Korsahov's syndrome)の悩ましい物語は、セルゲイ・セルゲーヴィッチ・コルサコフが帝政時代の中央ロシア・ウラジミール州で生を受けた1854年に遡る。

 幼少期から利発だったコルサコフは、16歳でモスクワ大学医学部に入学後、精神医学のほか自然科学や哲学も熱心に探求する。卒業後、モスクワ・プレオブラジェンスキー精神病院、モスクワ神経疾患クリニック、ベッカーズクリニックでひたすら臨床・研究に打ち込む。

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 わずか33歳でモスクワ神経疾患クリニック助教授に着任後、慢性アルコール中毒患者に頻発する多発性神経炎を「コルサコフ症候群」と命名、多くの難症例を世界で初めて学会発表した。38歳の時、モスクワ大学に精神医学講座を立ち上げつつ、臨床例の体系化や精神科医の育成に情熱を注ぐ。

 だが、研究の過労が祟って心臓病を併発し、46歳の若さで病没した。ロシアの精神医学会のパイオニアとして、神経科学の泰斗の名を世界に轟かせた、ロシア人らしい大らかな人柄と深い情愛に満ちた気鋭の科学者だった。

大脳の萎縮で深刻な健忘症に

 コルサコフ症候群はどのような疾患なのか? コルサコフ症候群の特異性は、大脳の視床背内側核または両側乳頭体の機能障害による大脳(海馬)の萎縮が引き起こす重篤な健忘症候群という点だ。

 時間や方向感覚が失われる失見当識、わずか数秒や数分前の経験も記憶できない記銘力障害、健忘症、作話して辻つまを合わせる虚言癖、痙攣発作などの症状を示す。アルコール依存症に見られる栄養失調が主因だが、頭部外傷、脳卒中、一酸化炭素中毒、ウイルス性脳炎、老年期認知症などの器質的な原因で発症する場合も少なくない。

 精神科の名医、コルサコフ先生のカルテをちょっと覗いてみよう。

 「患者は強迫的で不安を追い払えない。常に恐怖心に囚われている。自分の運命を呪い、独りにしないでくれ!と訴える。大声を上げてヒステリー状態になる。他人を罵倒し、物を投げつける。自分の胸をポンポンと叩く。興奮は夜にさら激しくなる。末梢神経障害による手足の痺れにのたうち回る。眠れず、他人の眠りを妨げる。助けを呼んで声をからす。寝返りを手伝ってくれ!面白い話をしてくれ!と懇願し続ける……」

 苦闘する患者の困惑ぶりが胸に迫ってくる。

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