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【シリーズ「病名だけが知っている脳科学の謎と不思議」第1回】

パーキンソン病の発見者は誰? 19世紀初頭に活躍した孤高の外科医によって研究がスタート

日本のパーキンソン病患者は約15万人(shutterstock.com)

 最近では作家でタレントの永六輔が病気を告白したことでも知られるパーキンソン病

 「手足がふるえる(振戦)」「筋肉がこわばる(筋固縮)」「動きが遅い(無動)」「バランスがとりづらい(姿勢反射障害)」の4つが主な症状だ。

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 しかし、パーキンソン病がどんな病気かを知っていても、ジェイムズ・パーキンソンの名を知る人は、ほとんどないだろう。

発見者は学会や世相を騒がせた孤高・異能の外科医

 1824年12月21日、東ロンドン郊外のホクストン・スクエア1番地聖レナード教会区。数日前に脳卒中で昏倒し、半身不随に陥った69歳のジェイムズ老人が、孫たちに囲まれながら、クリスマス・キャロルを口ずさむ幸運は巡ってこなかった。

 1755年にホクストンで生を受けたジェイムズ・パーキンソンは、17歳のときから父・ジョンの「パーキンソン父子医院」で外科医・助産師として働く。26歳でメアリー・デイルと結婚し、6人の子どもを授かる。祖父から数えて80余年、パーキンソン一家は産業革命の激動のただ中を医業ひと筋に生き抜いた。

 ジェイムズは、ロンドン医師会、ロンドン外科医協会、薬剤師協会など数多くの団体に所属しつつ、意欲的に活動して名声を高める。王立人道協会の記録によれば、首つり自殺した青年や雷光に打たれた瀕死の男を電気ショック療法で蘇生させたり、時の国王・ジョージ3世の暗殺容疑でも告発される。

 だが、その碩学と該博に磨きをかけて、大衆向けの医学書『家庭のための医学的助言』、臨床研究書『痛風の性質と治療』、古生物学の研究書『古代の生きた遺物』などを立て続けに出版し、版を重ねる。

 何かと学会や世相を騒がせた孤高・異能の外科医だった。1817年、52歳のとき、医学書『振戦麻痺(shaking palsy)について』を上梓し、患者6人の科学的な観察症例を世界に先駆けて公表。振戦麻痺の定義から、障害の経過、症状、混同しやすい病気、原因、特効薬の見込みまでを論じた。

 そこには「振戦麻痺は不随意の身体の震えだ。筋力が衰え、支えがあっても動きが徐々に遅くなる。胴体を前方に屈曲させるため、歩くと自然に走り出す。感覚や知性は損なわれていない。書き文字が小さくなる小字症が診られる」と症状を克明に詳述している。

 ジェイムズの慧眼は何か? 振戦麻痺の根本原因は、脊髄の上部の延髄にあると見抜いていた先見力だった。

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