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【シリーズ「傑物たちの生と死の真実」第7回】

「死の商人」ともいわれたノーベルは、うつ病を患い持病の心臓病から脳溢血で死去

アルフレッド・ノーベルは1896年12月10日に脳溢血で死去 Pe3k / Shutterstock.com

 1833年10月21日、アルフレッド・ノーベルは、スウェーデンのストックホルムで、建築家で発明家の父イマヌエル・ノーベルと母カロリナ・アンドリエッテ・ノーベル の4男坊として生誕した。父方の祖先には、リンパ系の発見者として知られる科学者、オラウス・ルドベックがいる。

 ノーベルは幼い頃から父の影響を受ける。工学や化学に興味を示し、父から爆発物の原理も学んでいた。

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 ノーベルの父は、事業の成功と失敗を繰り返す。合板の発明、産業機械、爆発物、機雷の製造で大成功。だが、1853年に勃発したクリミア戦争で兵器を増産して大儲けをするものの、戦争が終結するや否や、事業はたちまち火の車、破産の憂き目に遭う。その後、ノーベルの父は、兵器工場をノーベルの兄リュドビックに一任する。リュドビックは傾きかけた兵器工場を再開し、軌道に乗せる。

 事業が持ち直し、経済的にも豊かになったことから、ノーベルには複数の家庭教師がつく。ニコライ・ジーニンに化学を学び、英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、イタリア語を流暢に話すマルチリンガーに。1850年、17歳の時、パリでテオフィル・ジュール・ペルーズの科学講座を受講。翌年、渡米して4年間、発明家のジョン・エリクソンに師事。1855年頃から爆発物の研究に没頭し、ニトログリセリンの安全な製造方法を探求。1857年、24歳の時、最初の特許(ガスメーターの製造特許)を取得した。

ダイナマイトを発明で世界屈指の資産家に

 1864年9月3日、グリセリン精製中の爆発事故で弟エミールと5人の助手を失い、ノーベルも負傷する。ストックホルムでの研究開発が禁止されると、兵器工場をハンブルクに移設し、ニトログリセリンの安定性を高める研究に専念した。

 1866年、33歳の時、不安定なニトログリセリンの安全性を高めたダイナマイトを発明する。ロケットの推進剤を先駆けるバリスタイトも発明。起爆装置や雷管も開発。1867年、米英でダイナマイトに関する特許を取得した。

 1871年、珪藻土を活用した安全性をさらに強めたダイナマイトを、100拠点もの兵器工場で増産。1875年、ダイナマイトよりも安全でパワフルなゼリグナイトも発明。特許は50カ国に及ぶ。世界各地で鉱物採掘や建設・土木工事に多用され、莫大な利益を得たノーベルは、世界屈指の資産家にリストアップされた。

生涯独身を通し、うつ病に悩み、持病の心臓病が悪化、脳溢血で死去

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