痛みを抑えるための薬は「鎮痛剤」という。薬物に詳しくない人間でも、鎮痛剤を注射すれば痛みが軽くなることは知っている。痛みで眠れないとき、鎮痛剤の効果は劇的である。ぐっすり眠ることで、体力が回復し、療養生活に大いにプラスになる。
では、痒みを抑えるための特効薬はあるのだろうか。まだ、人類はそれを手にしていない、と考えていい。痒みを軽減するさまざまな対症療法はあるが、決め手にはなっていないのである。痒さのために、日常生活が送れなくなる症状といえば、重度のアトピー性皮膚炎がある。アレルギーなどが原因で、全身に広がってしまえば、普通の生活は困難だ。激烈な痛みが、鎮痛剤によってほぼ消失すること比較すると、痒みの解決は道半ばであることに気づくはず。
愛知県岡崎市に拠点を置く生理学研究所は、8月12日、脳の特定の部位に微弱な電流を流すことで、痒みを抑えることができることを発表した。これは世界初の快挙である。この研究結果は国際的な専門誌「クリニカル・ニューロフィジオロジー」9月号に掲載された。研究チームは、慢性的な痒みで知られるアトピー皮膚炎の患者の治療に貢献できる、と考えている。
研究チームは、痒みと脳の関係について長年取り組んできた。2009年には、脳科学研究のなかで、未解明だった、痒みについて画期的な成果を出している。これまで、脳科学の分野では、痛みを感じる脳の部位は明らかになっていた。しかし、痒みとはどのようなメカニズムで生じるのか、痒みを感じる脳の部位は明らかではなかった。研究チームは、痒みを感じる脳の部位を特定したのである。これよって痒みについて脳内メカニズムを解明する重い扉が開いたのである。長い間、脳科学の分野では、痒みとは、「軽度の痛み」という考えが支配的だったが、このときの研究結果によって、痛みと、痒みは独立した脳の部位によって生じることがわかったのだ。
右脳に微弱電流を流すと左手首の痒みが止まった
この2009年の研究成果を踏まえて、今回はさらに踏み込んで臨床研究をしている。14人の被験者に対して、左右両側の大脳皮質にある感覚を司る脳部位に、電極で1ミリアンペアの微弱な電流を流した。
同時に、被験者の左手首に、強い痒みを引き起こすヒスタミンという化学物質を塗った。皮膚に浸透して痒みが生じる。その状態で、脳に微弱電流を流したのである。
ターゲットにした脳部位の右側に神経細胞の興奮をうながすプラス電流を流したところ、左手首の痒みが鎮まった事が確認できた。よく知られているように、脳の右半分は、左半身の感覚を司る。左半分は、右半身を司る。過去の脳科学の痛み研究と同様に、痒みについても、正確な臨床データをとることができたのである。
このような世界的な発見が、日本から生み出されたことに誇りを感じる人は多いはず。現時点では、脳部位に微弱電流を流す、という方法での痒みの抑制である。将来は、投薬による治療法の確立が期待される。鎮痛剤ならぬ「鎮痒剤」が開発されたら、痒みによって苦しんでいる患者にとって朗報である。医薬品ビジネスの観点でも、おおきな市場が期待されることは容易に想像できる。
(文=編集部)