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【DNA鑑定秘話 第13回】

精度の低い鑑定結果が冤罪を招いた女児殺害の「足利事件」

精度が劣ったDNA鑑定を乱用したことが冤罪の遠因となった(写真は警察庁・科学警察研究所科警研のHPより)

 今回は精度の低いDNA鑑定の結果が冤罪の遠因となり、その後、最新のDNA鑑定によって無実が立証された足利事件について話そう。

 1990年5月12日午後7時頃、栃木県足利市内のパチンコ店から4歳の保育園児Mちゃんが行方不明になる。翌13日、渡良瀬川の河川敷でMちゃんの遺体を発見。同日夜、県警科学捜査研究所はMちゃんの半袖下着に付着した精液斑の血液型をB型と鑑定。11月末、警察は聞き込み捜査で内偵し、幼稚園バス運転手の菅家利和さん(当時45歳)の借家を訪問。捜査令状なしで室内を捜索し、勤務先へも刑事が聞き込みを行う。そして約1年間、菅家さんへの尾行が続いた。

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 1991年3月、勤務先への刑事の聞き込みが原因で、菅家さんは解雇・失業。6月23日、尾行中の刑事は菅家さんが捨てたゴミ袋を無断で押収、使用済みティッシュを回収。8月21日、科学警察研究所(科警研)は半袖下着とティッシュをDNA鑑定。 8月28日、警察庁はDNA鑑定機器費用概算要求(1億1600万円)を大蔵省に提出。11月25日、科警研は半袖下着に付着した精液斑のDNAとティッシュのDNAの鑑定の結果、完全一致と報告した。

 12月1日早朝、警察は菅家さんを逮捕状なしで足利警察署へ連行。夜中まで取り調べ、菅家さんに犯行の自白を強要。2日未明、Mちゃん殺害容疑で菅家さんを逮捕。 2日の朝、読売・朝日・毎日3大紙は、朝刊の全国版に「DNA鑑定一致。容疑者事情聴取」と報道。地元紙の下野新聞、東京新聞、産経新聞などは未報道だった。3大紙の地元記者にも情報が伝わらず、警察庁が特定の報道機関だけに捜査情報をリークしたと思われる。12月21日、菅家さんを起訴。 12月26日、大蔵省は警察庁のDNA鑑定機器予算要求(1億1600万円)を復活折衝で認可した。

 1993年7月7日、菅家さんに無期懲役の判決。1996年5月9日、控訴棄却。2000年7月17日、最高裁判所の無期懲役判決が確定し、身柄が収監。2002年12月25日、再審請求。2008年2月13日、再審請求棄却、即時抗告。2008年12月19日、東京高裁がDNA型再鑑定を決定(逮捕から17年目)。2009年6月4日、再審の開始が決定される。

 記者会見で菅家さんは「検察と栃木県警に謝罪してほしい。刑事たちの責めが酷かった。『証拠は挙がってるんだ、お前がやったんだろ』とか『早く吐いて楽になれ』と言われた。始終無実を主張したが、受け付けて貰えなかった。殴る蹴るの暴行、頭髪を引きずり回されたり、体ごと突き飛ばされるなどの拷問に等しい暴行を受け、15時間も取り調べられた。刑事たち、検察や裁判官も許す気になれない。全員実名を挙げて、私の前で土下座させてやりたい」と涙ながら話した。

 2010年3月26日、宇都宮地方裁判所の佐藤正信裁判長は「当時のDNA鑑定に証拠能力はなく、自白も虚偽であり、菅家さんが犯人でないことは誰の目にも明らか」と判示して、菅谷さんに再審無罪を言い渡す。そして「真実の声に十分に耳を傾けられず、17年半の長きにわたり自由を奪うことになった。誠に申し訳ない」と深く謝罪した。

低い鑑定精度で犯人と断定した警察・マスコミ・司法の犯罪性と残酷性

 事件の経緯を追えば追うほど、見えてくるのは何か?

 警察の予断と偏見による連行、暴力、脅し、自白強要の違法性。1000人に1人の低い鑑定精度にもかかわらず、捜査に都合のいいDNA鑑定だけを楯に「同一人物であると断定」した警察の犯罪性。警察のリークを無批判に追随し、事実無根のでたらめな報道を繰り返したマスコミの非人間性。警察のDNA鑑定を鵜呑みにしたまま、いたずらに真実の究明を怠った検察庁や裁判所の怠慢性。警察とマスコミと司法が意図的に作り上げた冤罪事件の残酷性。そのために、ひとりの罪もない人間の17年もの人生が剥奪された。その償いきれない大罪と重責は厳しく弾劾されるべきだ。

 決して忘れてならないのは、冤罪事件の背後にある忌まわしい真相だ。事件直後から警察庁は、DNA鑑定機材を全都道府県警に配備することを企図していた。予算要求は大蔵省に一旦は拒まれたが、その復活折衝するためにはDNA鑑定の高精度を大蔵省にアピールする必要に迫られていた。ちょうどそのタイミングで、菅家さんは恰好のアピールのターゲットになる。警察は、精度が劣ったDNA鑑定を乱用してでも、菅家さんを犯人に仕立て上げなければならなかった。

 現在は、4兆7000億人に1人という高い鑑定精度で、本人がほぼ特定できる。しかし、当時のDNA鑑定の精度は、1000人に1人程度の低精度だ。つまり、日本全国に12万人もの該当者がいた。この程度の鑑定精度なら、「同一人物であると断定」は絶対にできないし、冤罪事件の温床に成り果てるのは火を見るよりも明らかだ。


佐藤博(さとう・ひろし)
大阪生まれ・育ちのジャーナリスト、プランナー、コピーライター、ルポライター、コラムニスト、翻訳者。同志社大学法学部法律学科卒業後、広告エージェンシー、広告企画プロダクションに勤務。1983年にダジュール・コーポレーションを設立。マーケティング・広告・出版・編集・広報に軸足をおき、起業家、経営者、各界の著名人、市井の市民をインタビューしながら、全国で取材活動中。医療従事者、セラピストなどの取材、エビデンスに基づいたデータ・学術論文の調査・研究・翻訳にも積極的に携わっている。

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