賛否両論が巻き起こっている手記『絶歌』
1997年に神戸市須磨区で起こった連続児童殺傷事件の加害男性による手記『絶歌』が出版され注目されている。同書を刊行した太田出版には「なぜ遺族の了解を取らずに出版したのか、遺族の気持ちをどう考えているのか」といった多くの非難が寄せられている。
また、殺害された土師淳君の父親の守さんは、遺族の心情を傷つけるものだとして同社に抗議するとともに、速やかな回収を求める申入書を送り、「遺族の受けた人格権侵害及び精神的苦痛は甚だしく、改めて、重篤な二次被害を被る結果となっております」と訴えている。
[an error occurred while processing this directive]このような理不尽な凶悪犯罪にかぎらず、事件や事故で、ある日、突然、大切な家族の命を奪われた被害者遺族の心理とはどのようなものか――。
被害者遺族が受ける「悲嘆反応」とは?
数々の司法解剖や死因究明に立ち会い被害者遺族と接してきた、ある医師は次のようなエピソードを挙げた。
●息子を交通事故で失った母親
息子の事故死の後、ボーッとする日々が続き、食事も喉を通らなくなった。息子の死を受け止めることができず、いつか生き返って来るのではないかと考えるようになったという。眠れない日が続き、頭痛や動悸が頻回に現れた。以前はよく、近所の人と旅行や絵画の展覧会に行っていたが、外出をほとんどしなくなり、近所との付き合いも途絶えてしまった。
このような症状は、遺族となった人に多少なりとも見られるものだ。これは「悲嘆反応」といわれ、家族のみならず大事な人やものを失った時に体験する、心理的、身体的、社会的な反応だ。誰にでも起こり得る正常な反応である。
「心理的反応」とは、悲しみや怒り、自分を責めたり、うつ状態になること。「身体的反応」とは、頭痛、耳鳴り、下痢、不眠など、体に現れる症状をいう。「社会的反応」とは、日常生活や人間関係などに支障をきたすことを指す。
事例の母親は、3つの反応がすべて見られ、その症状が続くことから、心療内科を受診したという。悲嘆反応を示す人すべてが、医師による治療が必要なわけではないが、反応が長く続く場合や、症状が強い場合は、医師に相談するすべきだろう。
家族の死に直面すること自体、つらいことだ、特に予期せぬ事態の場合は、それを受け止めるだけの時間的な余裕もなく、ショックに襲われる。遺族は心の準備もないままに、見たくないものを見たり、忘れたいことを思い出さざるを得ない状況に置かれたりする。けれども他人は、精神面の遺族のつらさを形で見ることはできない。
犯罪の被害者は、突然、健康や財産などを奪われることにもなる。このため、被害者を救済する施策が講じられてきた。1981(昭和56)年には「犯罪被害給付制度」が発足し、2004(平成16)年には「犯罪被害者等基本法」が制定された。
この法律は、国民の誰もが犯罪被害者となる可能性があること、それゆえ、犯罪被害者の権利や利益が保護されるよう、被害者の立場に立った施策を講じるべきであるという考えに則っている。
現在、被害者支援にかかわる基本施策は、①被害者に対する情報提供、②捜査過程における被害者の負担軽減、③相談・カウンセリング体制の整備、④被害者の安全確保、⑤被害者支援に関する広報啓発活動が挙げられている。また、各県でも被害者に対して、カウンセリング技術を有する警察職員を配置するなど、心のケアに配慮がなされている。
被害者遺族へのケアは十分か?
しかし、遺族に対するケアは、現在の制度でもまだ十分ではない。たとえば、犯罪被害給付制度でも遺族給付金の最高額は2964万5000円、重傷病給付金の上限は120万円だ。そして心理的ケアも十分にできていない場合が多く、民間ボランティアの手に委ねられている部分も多い。
突然の事件・事故で家族を失った後の対応は、遺族の心理状態に影響を及ぼすことがある。遺族は家族の急な死に対して、怒りをあらわにすることもある。そこで大切なことは、遺族の話に耳を傾けることだといわれている。遺族の心情に共感し、その悲嘆に寄り添い、援助すること。心ない言葉一つで、悲嘆反応が重症化することがあるのだ。
手記『絶歌』は近年異例の初版10万部で発刊され、週間ベストセラーランキング(トーハン発表)では初登場1位となった。さらに重版が決定し、5万部が増刷されて順次店頭に並ぶという。太田出版は公式サイト上で「私たちは、出版を継続し、本書の内容が多くの方に読まれることにより、少年犯罪発生の背景を理解することに役立つと確信しております」として、回収の意向がないことを示した。
被害者遺族の「重篤な二次被害を被る結果となっております」というコメントは無視された状況だ。その心情を慮れば、「忘れられないつらい日々を思い出す」ことになるに違いない。出版社と匿名の著者が多額の利益を手にする一方で、遺族の悲嘆は絶えることなく続いていることに目を向けるべきではないだろうか。
(文=編集部)